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大きいキルトを作るに際し.3
大切なことなのに、つい忘れてしまいがちなもう一つの理由、それは
『重さ』。
布の重さについて、考えてみたことはある?
どんなものを作るか決める時、多分ほとんどの人が考えないと思う。
でも、いざ使ってみると、物の重さというのはすごく大事だってわかる。
普段私たちは物を無意識に使っているから忘れてしまうけど、あらゆる分野のメーカーさんが、どんなに製品の小型軽量化に苦心していることか、それを考えてみただけでも、『重さ』が人の生活において、どれだけ重要かがわかる。
繊維の分野だって、例外じゃないの。身に着けたり、体に掛けたり、持ち運んだり、人間に関係する繊維は、
強くて温かくて(または涼しくて)しなやかで美しくて、
なのに『軽い』ことを理想として、進化し続けてきたのです。
実際、重い物っていうのは、使うにしても、洗ったり干したり畳んだり掛けたり、移動したりするのも大変で使い勝手が悪く、そのうち押し入れの肥やしになってしまうもの。
多分みんな心当たりがあるはず。 重いコートやバッグ、お布団なんかが、敬遠されて仕舞い込まれているでしょう?
大きなキルトだって同じこと。 すでに大きいってだけで重さがあるのに、それが細かく切った布が大量に接ぎ合わされたものだとすると、さらに重さに拍車をかけることになるの。
原因は、見えない所に「縫い代」っていう、
“作る上では必要なんだけど、使う上では必要ないもの” が隠れているせい。
細かく刻んでつなげばつなぐほど、出来上がったものは重たくなっていく。
悲しいかな、せっかく作っても、重い物は無意識に使わなくなって、だんだんと邪魔者扱いされていく危険をはらんでいる。
出来上がるかどうかも危うい上に、苦労して仕上げたのに今一つ実生活で出番がないなんて、なんだか損なことばかりね。
展示会とかで人に見せるために作るのはまた別物だけどそういうのにまったく興味がない私は、使うのが目的。
使うんだったら絶対に大きいものは軽く作るべきだと思う。
それには何しろ、出来る限り引き算して、「凝りすぎない」こと。
えーっ!と思うくらい単純なシンプルデザインでOK。
手でチクチク縫うのだって思いのほか早く進んで、ちゃんと完成するし、きっと、気楽に使えて、いつしか無くてはならない愛用品になっていく。
ところで
たまたま私は手縫いにこだわって作っているけど
「そんなに大変ならミシン使えばいいのでは?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。
「ミシン使っちゃいけないんですか?」の問いに、ミシン嫌いの私の答えは、敢えて、『それも有り!』 です。
そもそも、手縫いがいいか、ミシンがいいかなんていう問題は存在しません。
そんなことを問題視することは、ナンセンスです。
それは絵の具で描いたものだけがアートで、コンピューターを使ったものは芸術ではない、なんていうのと同じで
時代にそぐわない、ただの「やっかみ」みたいなもの。
物を作る道具や手法などは、時代とともに変化し、進化し、時に原点に戻ったりしながら、向上していくものなのです。
どちらにも、長所と短所があるのだから、それを理解した上で自分に合っているものを選択すればいいだけの話。
すべては自由! 既成の事実にとらわれる必要なんてないんです。
物を作るっていう行為は、そんな懐の広ーいものなのに、みんな何かを気にし過ぎ。
私は時々
「自己流でしかやったことがないので、ちゃんとしたやり方を習ってみたい」
って言われることがあるけど
自己流だなんて、なんてまぁ素晴らしい! と思うし、
なんで「自己流」をネガティブに捉えるのかがわからない。
だれか先生に習ったことがないから? 本に載っているのとやり方が違うから?
もし、そんなことを気にかけている人がいるなら、私からこの言葉を差し上げましょう。
ノープロブレム!
私は私の教室で、たまたま私のやり易い方法を教えるけど、生徒さんが私と違うやり方でも一向に気にしないし
むしろそれを期待しているくらい。
物作りの答えはひとつじゃない。
自分のやりたい方法で、自分の信じるやり方で、作りたいものを作ればいい。
うまくできなかったら、違うやり方を試せばいいし、自分に合ったやり方を模索し続けるしかないの。
大多数の人がやっていることが『正解』だなんて思わない方がいい。
物作りは、そんなに単純じゃないし、常に研究と修練が必要で、ゴールは、『完璧なる自己流』を極めることだと思う。
キルト作りはまさにそれ。
「キルト・・・・2枚の布の間に綿がはさまっていて、上から刺し子してあるもの」っていう大前提がクリアされていれば
あとは、なんだって『有り』。
材料も道具も手法も、自分に合っているものだけを探し続け、そして研ぎ澄ましていくだけ。
それは楽しくもあり、厳しく、つらいことでもある。
でも、物をつくる喜びは
何だか山を登るような、必死に泳いで辿り着いた岸辺のような、心地よい疲れ。
それを味わいたくて、また作り始めるのかも知れないね。
ちょっと大きいキルトを作る話から脱線しちゃったけど、
実はね、本当は・・・・・・・・
つづく
次回は大どんでん返し !? の最終回!
大きいキルトを作るに際し.2
もし、
本当に何日も、何週間も、何か月も、ずっと頭から離れず、大きいキルトのことがいつも思い浮かんでしまうのなら、
それは『作って良し!』のゴーサインかも知れない。
でも、そこはしつこく、あと少しだけ冷静に考えてみた方がいい。
今、自分は出来る環境に、または心境にあるのか、そしてそれは今後もしばらく持続可能なのか・・・
なぜなら、大きいキルトを仕上げる最大にして唯一の条件、それは
「気力」だから。
えー、スポ根マンガじゃあるまいしー、ここに来て「根性」?何かほかにあるんでしょお?簡単に仕上がる方法、
って言いたい気持ちもわかるけど、そんな魔法のようなものがあるのなら、私は自分だけドンドン完成させて、 しかもその事は誰にも話さず、秘かに特許を取って左うちわ・・・。
(-_-)
とどのつまり、必要なのは強い気持ちだけで、実はテクニックなんて、必要ない。
なまじそんなものあると、かえって自分の力量を見損じる。
とにもかくにも、最初に思った「作りたい!」という気持ちを、完成する瞬間まで持ち続けられるか、それが鍵なの。
それには、「気持ち」をサポートする「計画性」がものをいう。
現代人は悲しいかな、「飽きる」動物で、どんなに好きなことでも毎日続けば飽きる。飽きることを想定して計画を立てるべき。
そして、何よりも大事なのは、作りたいもの、作れるものを作ること。これは一見当然のことのようで、みんな自分ではわかっている気になっているけど、本当にそうなのか、実際は違っていることも多い。
まず、「必要なもの」イコール「作りたいもの」ではない。
そして「作りたいもの」イコール「作れるもの」ではないことを認識した方がいい。
よくあるケースは、夫または息子のベッドカバー。必要だと自分で勝手に思い込んで作りはじめるが、何分男性のものは色が地味で可愛い花柄も登場しない。そのうち気持ちが冷めて、すっかり手を付けなくなる。
または、
キルト展で見たものすごく小さな四角をた~くさん縫いつないだキルト。小さくたって、単に四角をつなぐだけなんだから自分にだって出来るはずと思いきや、これが思った以上に進まない。 結局ベッドカバーじゃなくてパソコンカバー2枚になりました、みたいな。
イベントのワゴンセールで、みんなが買ってるからつい興奮して大量に買ってしまった布。いつまでもあるから使ってしまいたい、じゃあこれを使って大きいキルトでも作って消化してしまおうってやり始めたものの、実はそんなに好きな布じゃなかった。単に買った自分を肯定したかっただけ。
手持ちの布の在庫を減らそうと、なんでもかんでも切ってつなげてみたら、すっかり自分では見飽きた布ばかり、コーディネートも何もあったものじゃない。
色も雰囲気も統一感ゼロ、これ作ってもベッドに掛けて使う?
要らないものを使って何か作ったら、都合よく化学反応でも起こして素晴らしいものができるなんてことは、現実には起こり得ない。
要らないもので作ったものは、やっぱり要らないものだ。
ハッとそれに気づいた瞬間、ヤル気が失せて、お蔵入り。
どれもよくあるパターンで、私自身も経験者。できれば誰もこんな事態には陥りたくない。
それにはまず、見極める冷静さをもつこと。本当に心の底から作ってみたい物なのか、それは自分向きの物なのか
作る時間は確保できるのか。
ノルマみたいに1日何枚とか何時間とか、自分に厳しく課すこともないけど、私みたいに無期限にして「老後の楽しみにとっておく」なんて公然と言うようになったら たちが悪い。
せめて、1年、難しいものは2年で1枚、その間に完成に至るのがベスト。
それ以上かかると、そのまま放ってしまう可能性大だ。
作り始めた日を記録しておいて、だいたいこの辺りではこの作業に入っていることとか、子供の受験とか引っ越しとか、事前にわかる予定は考慮に入れて簡単な予定表を作っておくのもいいと思う。
真夏はペースが大幅にダウンするので、それも想定しておいた方がいい。
出来れば、この日にまでに完成させる!という完成予定日を決めるとモチベーションも上がるかも。 カレンダーにシールを貼ったりしてね。
そしてなにより、シンプルなデザインとヤル気を喚起してくれるお気に入りの布を使うこと。
デザインは、単純であればあるほど良い、と最近私は殊更にそう思う。
これ、↑北海道の Reikoさんにも、 大きな正方形をつなぐだけのシンプルなものをお勧めしたけど、どの布も生き生きと主張し、引き立てあっている。大きな四角だからといって大味な感じはしないし、トリプルのキルティングで、決して手抜きには見えない。
お仕事をしながら、ほかにもいろいろと作品を同時進行で作りつつも、ベッドカバーをちゃんと完成させられたのは、やっぱり、「娘に」という強いヤル気と、サクサク進んだシンプルデザインのお蔭だったと思う。
私が、大きな四角つなぎという究極のシンプルデザインを勧めるのは、簡単で進みが早く、完成する確率が高いという理由以外にも大切なことなのに、つい忘れがちな理由がもうひとつあるのです。
それは何かというと・・・・・・・
次回へつづく
大きいキルトを作るに際し.1
ベッドカバー・・・・・・
キルト作りを始めたら、やっぱり1枚は作ってみたいもの。
出来上がった時の達成感は、そりゃもう、小物の比ではない。
正直、完成した瞬間は、 紙ふぶき、万歳三唱! 心の中ではエレクトリカルパレードです。
完成したものはまるで子供のごとき可愛さ、それを作り上げた自分自身も、無性に愛おしくなって、「わたし、すごいかも」と、あらぬ勘違い。
これは、やってみればわかる。もう次も絶対大きいの。出来上がってもいないのに、もう次の計画が進行中。
とにかく一度出来上がると、癖になって、やめられなくなる。
ベッドカバーなんて、そんなにたくさんあっても仕方がないのだけど、でもなんでだか作りたくなってしまう。
そんな楽しくて魔力いっぱいの大きなキルト作り。
じゃあ、そんなに良いものなら、いつでも誰にでもお奨めするのかというと、実は、そうでもない。
私も大物が好き。出来れば大きいものだけ作っていたい。
でも、手縫いにこだわって物を作る私が日々実感しているのは、手で作るって、思いのほか時間がかかって、大人が普通に生活していると、意外と縫う時間なんてそんなにとれない、っていうこと。
実際、私自身も、未完成のベッドカバーは複数枚。途中で止まったまま、もう何年も熟成させちゃってる。
やめたわけではないし、いつか続きをやるつもりではいるけど、再開の見込みは立っていないし、立ち戻れるかどうかは微妙。
当然だけど、大きいものは小さいものに比べて時間も材料費もかかるのです。出来上がらなかった時のダメージは、これも小物の比ではない。
だからこそ、大きいものほど綿密な計画と、心構えが必要だと、 私自身改めて思う。
やみくもに、その時の気分や思いつき、何かに感化された盛り上がりとか、いわゆる「ノリ」で始めないほうが良いと思う。
まず、まったく今まで針仕事をしたことがなかった人の第一作目には、私だったら勧めない。
何か適度な大きさ(1m角未満かな・・・)のもので、プロセスを知ってからのほうが安全。
しかしながら、全く初めてではないにしても、性格的に大物に向かない人もいるし、とにかく、家に居て、じっと座っている時間がコンスタントにとれない人は圧倒的に不利。
結局出来上がらなかった途中のものって、実際何の役にも立たないし、「あれが途中」という意識が、ジクジクと亡霊のように自分を苦しめ、何か新しいものを作り始めるたびに、「あたしを先に作って~」と、地面から手が伸びてくるよう・・・
そんな、さむ~いネガティブ思考に苦しめられるかも知れないとわかってからも尚、それでもやっぱり作りたい!と思った時は、じゃあ、どうすればいいかというと・・・
次回へつづく
濃くてきれいなものが流れ続ける 2012/7/7/Sat
「雨の音を聞きながら、お風呂に入るのが好き」 と、母が言っていたことを、話して聞かせたことはなかった。
なのに、小学生になったペンちゃん(娘)が、
「雨の音を聞いているのが好き」と突然言ったので、私は少しうろたえた。
生まれ変わり・・・
そんなことってほんとにあるんだろうか・・・
ちょうど母の命が燃え尽きようとしていた頃、入れ替わるように私のお腹にぺんちゃんの命が宿っていた。
ペンちゃんが、おぎゃあと生れる8ヶ月前に母は亡くなってしまったので、2人は一度も会ったことがない。
でもやっぱり「血は争えない」のか、どこか似ていて共通点も多いと思うのは、間に挟まれて両方を知っている私が、勝手に先入観で見てしまうからなのだろうか・・。
母もペンちゃんも同じ戌年で、犬やら猫やら見ると、どの子もどの子も「可愛い可愛い」と言い、目をウルウルさせるところなんか、本当にそっくりだ。
そう言えば、去年私がいろいろ悩んでいた頃、ペンちゃんとお喋りしたり、ショッピングに行ったりする時間だけが気持ちが晴れて、元気が戻ったんだったっけ。
ペンちゃんは、若いのにどっしりと落ち着いていて自分を見失わず、辛抱強く私の話を聞いてくれて、励ましてくれた。
それはまるで母親のよう。
やっぱりどこかに、目には見えない不思議なものが流れているらしい。
今日は雨だからこんなことを考えるのだろうか・・・
それとも、ペンちゃんが大学で献血して来たと言って、腕に包帯をして帰って来たからか・・?
「濃くてきれいでいい血ねー!」と、赤十字の看護師さんが沢山集まってきて、褒められたのだそう。
ペンちゃんは、白い包帯が自慢気だ。