Blog
きのう、「バスタオルを新調するのは、気持ちがモヤモヤしているから」
と、書いたのですが今、わたしがいったい何にモヤモヤしているのか、ということを
今日は書きたいと思います。
(^-^)
今月に入ってから、ずっと頭をめぐっているのは「自分のサイトのリニューアル」のことです。
話せば長いのですが(短く出来ないので、お付き合いください (^_^;)
何度も書いているように、今年は私がお店を始めて満20年の年です。
最初は、東京都練馬区に実店舗を構えて営業しておりました。
途中2003年からネット販売も始めて、しばらく両方を一人でやっておりました。
実店舗は、良いお客さまにも恵まれ、自分で言うのは何ですが、とても素敵なお店だったのです。
でも、寄る年波には勝てず、(^_^;) 体調不良が続いたり、手芸業界的にはなかなか厳しい状況(大手量販店や手芸関係の出版社の倒産など)が続いたのもあり
私にとって実店舗の存在は、体力面でも、経費の面でも、負担になりつつありました。
いろいろ考えた末、2011年に店舗を閉め、その後はネット販売だけに切り替えて営業を続け、今に至っております。
(*^。^*)
今から20年前、私がお店を始めた1996年には、物を売る手段は大きく分けて2つしかありませんでした。
- お店で売る
- 印刷物のカタログで通信販売をする
それが、時代は変わり、インターネットという有り難いものが普及し、家でパソコンさえあれば、いえ、どこに居たってスマホひとつあれば、誰でも、どこでも、物を売れる時代となりました。
私は2000年に自分のお店のホームページを自作して、そのあと2003年にネットで品物を売るようにした時も自分でサイトを製作しました。
初期サイトのTOPページの一部↓
とは言っても、私はWeb製作は全くの素人で、
HTML(Webページを構成している言語の事)↓こういうものです
の知識はゼロなので、
先見の明のあった頭のいい方々が作って下さった便利なソフトを使って、誰にも習わず、わからないながらも失敗と試行錯誤を繰り返しながら、今もその自作のホームページで営業を続けています。
本当は、プロに依頼して素敵な使い勝手の良いサイトを作ってもらい、更新だけ自分ですればよいのです。
今は、そんなにビックリするほどのお金を出さずとも、やってくれるところはたくさんあります。
ただ、私がダメなところは、「自分のお店のことを人には頼みたくない」と思ってしまう所で
結局自分で自分の首を絞めてしまう結果になるのですが、私の性格上、人の作ったものではどこかしらに不満が残る。だったら、もし頑張れば自分で何とかなるものなら、
下手でもいいから自分で作りたい!自力の範囲で自由にのびのびやっていきたい!と、後先考えず、始めてみたわけなのです。
でも、始めたはいいけれど、それはそれは大変で、わからないことだらけで、胃は痛くなるし、じんましんは出るし、パソコンの前に座るだけで動悸がして、血の気が引いて、なんでこんな苦労を・・・・と思ったことは数知れず。
でも、それまでは、せいぜい関東地方の方か、たまたま出張で東京に来ました、なんて方にしか、品物とお店を見ていただけなかったのが、日本全国、そして、海外にお住まいの方までもが私のお店を知って下さり、物を買っていただくことができるようになりました。
ホームページは、相変わらず素人っぽくて恥ずかしいままでしたが、でも、いつからか、
「可愛い!」
「楽しい!」
「欲しいものがいっぱいで困りました」
「毎日欠かさず見てます!」なんて言っていただけるようになり物も売れて、収入も得られるようになってきました。
現サイトのトップページの一部↓
ここまで来るのに結局13年もかかってしまったけれど、それはそれでいい勉強になりましたし
私のサイトは、わたしという素人が作っているからこそ、他とは違う独特の雰囲気、個性って言っていいのかわからないけど、そういうものがあるような気がして、そこそこ自分でも満足して、落ち着いていたのです。
でも、ここ数年は、始めた頃には存在しなかったスマートフォンやタブレット、パソコン以外でネットを見る方が多くなり、デバイスに対応してレイアウトを変える「レスポンシブデザイン」というものが普及してまいりました。
私のサイトは、もちろんそういうものには対応出来ていません。
でも、ネットで物を売っている以上、時代には、どうにかこうにか、ハァハァ言いながらも、必死について行かざるをえません。
自分でもスマホを持つようになりましたし、これからも日々デバイスもディスプレイサイズも多様化していくことでしょう。
新しいものに迎合するのが、必ずしも良いこととは思っていませんし、パソコン用のサイトをスマホで見るメリット(拡大して見られるとか)も、老眼の自分には(皆さんにも?)却ってありがたかったりするのですが
そこはそれ、私のまた、悪い癖です。
やってみたらどう?の虫が一度動き出すと、後先考えず、行動に移したい気持ちでモヤモヤする・・・・・・(笑)
でも、いまだに素人のままの私に新しいサイトが作れるのでしょうか?
うーん・・・ (‐ ‐) かなり怪しいです・・・
宣伝文句は、しれっと言うのです。
「誰にでも簡単に作れます!」と。
ホントだった試しは、一度もありません。
┐(´-`)┌
でも、今回いろいろ思いを巡らせ、初心に帰って考えてみました。
私はなぜ 新しいサイトを作ってみたいのか。
- もっとたくさんの人に私のサイトを見てもらいたい
- 私のサイトを見てもっと楽しんだり和んだりして欲しい
- 気に入ったものがあったら買ってもらいたい
- 物がたくさん売れて収入が増えたらうれしい!(笑)
今まで、サイトが見にくいからもっと見やすくしてください とか
不便だから使いやすくして下さい とか
もっとおしゃれなホームページになりませんか? とか
誰からも、一度も言われたことはありません。
みなさん、すごく褒めて下さいます。
でも、自分では満足がいかないのです。
時間もたくさんかかります。13年かけて、ページ数もそれなりに増えましたので。
新しくしたら、きっと「前の方が良かった・・・・」と思う方も多いでしょう。
それは覚悟の上で、やってみようかと思っています。
モヤモヤが、少しずつ晴れて、自分もちょっぴり楽しみになって来ています。
(^-^) 頑張ります
長文、お読み下さりありがとうございました
<(_ _)>
今年の梅雨は、毎日曇っていてすごく暑いのに、(私の住んでいるところは)結局雨は大して降らないのだな・・・
と思っていたら、きのうは激しい雷雨でした。
体調を崩されている方も多いようですが
みなさまお元気でお過ごしでしょうか。
わたしは、例年通り、すっかり食欲が落ちて、毎日の料理がおざなりです・・・
そんな私ですが、どうやら気持ちがモヤモヤすると、バスタオルを新調するらしく
http://bp.tea-nifty.com/blog/2010/03/post-0503.html
2010年の3月にも、同じことを書いています。
考えてみると、結構頻繁に新調しているので、しょっちゅうモヤモヤしているってことなんでしょうか・・・
タオルを選ぶときの私の基準は
- 水をよく吸い取ること
- 雑巾やウエスにした時カッコいいこと
- 安いこと
の3点です。
1.は当然ですが、2.は結構重要で、雑巾がかっこいいと掃除をしている時もいい気分だからです。
3.は、多少へたれてきた程度で、惜しまず雑巾にできるからです。
今回も、安いタオルです。
気に入った色がなかったので、アイボリーを3枚買って、誰のかわかるように刺繍糸でステッチしてみました。でも、お洒落な中間色にしたせいで、洗面所の灯りではよく判別できない・・・
不便そうなので、ペンちゃんに刺繍糸でタッセルを作ってもらって、マーキングにしてみました。
これ
もしかして、邪魔なんじゃ?とか、洗濯したら取れちゃう?とか、まあ、いろいろ考えてみましたが、とりあえず着けてみました。
少なくとも、誰のかは、わかります。
つけたことで、とりあえず満足したので、これで良しとします。
去年はこんなに収穫できたラベンダー
今年もそれなりに期待していたのですが
なんと
これだけ・・・・・・
(T_T)/~~~
剪定がいけなかったのか、もう株の寿命なのか
右の、色褪せた去年のものと比べると
あまりに情けない・・・・・
(ー_ー)
新しい苗を買って、更新しなければならないか・・・・
そう言えば、しばらく園芸店にも行っていないな~
(・o・)
でも、夏の花って好きなのが少ないし、
どうせ暑さと蚊で放置してしまうので、今は待機。
これからは、練馬の暑さに耐えられるものだけが生き残る
植物にとっても、人にとっても、試練の季節です
(@_@;)
今日も37度・・・・・
我が家の近辺のスーパーでは
1枚300円未満で売られている“あとは焼くだけ”タイプのピザ。
もちろん、具はのっているのですよ、一応。
でも
まぁ・・・このお値段ですからね。 少ないんです、具が。
(^_^;)
なので、いつも有りもので、具とチーズをかさ増しです。
冷蔵庫の中、ガサゴソガサゴソ・・・
ひとつは、「マルゲリータ」に生のバジルとミニトマトを増して
もうひとつは、「4種のチーズ」に、とり胸肉とズッキーニをプラス。
焼けました~ \(^o^)/
私は引き続き、ゆりゆるグルテン抜き生活続行中なので、食べ過ぎ注意ですが
これなら、宅配ピザ1枚の料金で、4枚はいけると思うので
お財布にはやさしい!
夏野菜も一緒にね・・・・・・!
(^-^)
今日で6月も終わり。
もう一年の半分が終わったのですが、何してたっけな・・・
(^ ^ゞ
4月の熊本の地震、個人的には友人の訃報に放心状態になったり
ここ2カ月ほどのことしか思い出せないのですが
今年は開店20周年の年ということで、久々にレッスンを再開したり、ペースダウンしていたキットの発売回数をちょっとはアップさせようと多少頑張っていたり
そうそう、ワークショップもやりました。
(^-^)
今日は、自分のブログを自分で読み返して、この半年を振り返っています。
とりあえず、今日自分が同じ場所でこうして居られる事に、感謝。
さて
私のサイトには、新しいキットが出ております。
気持ちがふわ~っとやわらかくなるようなパステルカラーのキルトです。
6月は祝日がなく、疲れがたまって、暗いお天気のせいで気持ちがふさいでしまう時期です。
そんな時、原色やヴィヴィッドな色はさらに心の緊張を高め、疲労を増大させてしまいます。
目に優しく、心を癒す色使い。
ぜひ、自分を労わるつもりで、今、キルト作り始めてみませんか?
私のサイト、ぜひご覧になって下さい
^ ^*
Facebookで、これを凍らせると、
チーズケーキになって、「素晴らしく美味しい!」なんて流れてきたので、
へー。 と思い、やってみたところ
うん!
確かに、チーズケーキっぽいです!
でも、
ぐずぐずしていたら、室温であっという間に解凍されて
蒸しパンに戻って行きました・・・
(-_-)
速攻でお食べ下さい。わたしは、1回やって気が済んだので、もうやりません。
4月から社会人になったペンちゃん(娘・22歳)に
頼まれもしないのに、お弁当を作ってあげています。
だって、
会社の入り口はセキュリティーが厳しくて出入りが面倒だと言うし
社食はあるけど、ペンちゃんはカレーライスやソースをかける揚げ物がキライだし
定食は量が多いし、ラーメンやうどんじゃ栄養が偏って心配だし・・・
という訳で、久々にお弁当作り生活が復活しました。
大して量を食べないペンちゃんひとりのお弁当作りでさえ、やっぱり20分くらいはかかるもん・・・
だから毎日ご主人や、食べ盛りのお子さんのお弁当を朝、手作りされている方を心から尊敬します。
何しろ、やっぱりおかずがマンネリ化するし、私は常備菜っていうのを上手に使いこなせなくて、隙間がうまらないこともあるの・・・
でも、ありがたいことに、ペンちゃんは、お弁当を作って持たせてもらえる自分はすごくラッキーなのだとわかっているらしく、必ず完食して、内容については、文句ひとつ言わない。
だからかえって、今回は少し自分も楽しみながら、美味しくて、野菜がいっぱい摂れて、見た目もきれいなのを作ってっていけたらいいな・・・
巷には、これは一般人が作ったのですか?と疑いたくなるような
美しく、手の込んだお弁当の画像がいっぱいあふれていますから、写真はもう撮っていませんが
これからも、自分なりに続けていこうと思っています。
さて・・・・・
この、ブログの写真をまとめた3つのアルバムが出来ました。
仕事、暮らし、花と庭
今回、写真を整理してみて、自分でも忘れていた写真もあったり、懐かしいものがあったりして
ここ7年間の自分を振り返って見ることが出来ました。
そう言えば、金魚飼ってたな~。名前はグッピーでした・・・。
みなさんも良かったらご覧になって下さい
こちらの前のブログで見られます。
2016年9月 ホームページのリニューアルに伴い
以前はココログの中にあったブログ『まち針日記』も
このサイトに組み込まれました。
一部、読み物の記事は移動させましたが
それ以外の 2009年3月3日~2016年5月31日までの投稿は
こちらでご覧いただけます。ぜひご覧ください
この記事は、ココログの時代のブログから転載・加筆修正しました。
あれからひと月半経ちました。
私の、グルテン不耐症のその後ですが、まだ、ゆるゆるとグルテン抜き生活を続けています。
まず、このひと月半、小麦粉関係の主食では、食事をしていません。
パン・うどん・そうめん・パスタ・焼きそば・ラーメン・お好み焼きなど、100%ではありませんが、まぁだいたい排除して、お米と、おそばとフォー、玄米フレークで暮らしています。
少量なら平気なので、揚げ物の衣とか、お菓子とかは、あまり神経質にならずに今までどおりいただいています。
結果、なにか変ったことがあったかどうかですが、ひとつは胃部膨満感で不快な時間を過ごすというのが、ほぼ無くて済んでいます。
それから、夕食後に、耐えられないほどの眠気に襲われていた(下手すると、食べている途中で眠くなっていた)のが、なくなりました。
そしてこれは、年齢的に、あまり顕著にはわかりにくいのですが、集中力が上がったかも知れません。
何となくですが、そんな感じがしないでもないです。
体重などは特に変わりません、小麦粉だけ抜いているだけで、油や甘いものは、変わりないので。
それからこれも、なんとなくで、具体的な数字はわからないけど、食費が減ってるかも。
パンとか、麺って、やっぱりお米に比べてコスパが悪い。
主食がお米の国だから、結局はご飯食べてるのが一番安上がりみたい。
まあ、それはさておき、消化できなくて、みぞおちさすりながらスッキリしなかった時間を、他のことに充てられているような気がするし、多少メンタルにも好影響出てるかも知れないので、このまましばらく続けて行こうと思っています。
日曜日は、小麦粉を使わないで、ライスピザに挑戦してみましたよ。
冷ごはんに片栗粉を少しいれて、ビニール袋に入れて揉んで、丸く伸ばして生地を作りました。
刷毛でオリーブオイルを塗って、具をのせました!
一つはトマトとベーコンとバジルソース。
もうひとつは、キノコとちりめんじゃことマヨネーズ少し。
焼けた~ \(^o^)/
こっち↑は、少しごはん感が残ってたけど
こっちはもうちゃんとしたピザだった!!
崩れちゃって、結局箸で食べることになるかな?と心配したけど、切って、ちゃんと手で持って食べられました。
違和感なし。
もっと次は具を凝って、また作ろう・・
小麦粉なしでも、意外と平気かも・・。
この記事は、ココログの時代のブログから転載・加筆修正しました。
こんにちは
今日もお読み下さりありがとうございます。
さて
わたくし、今 あることを試しております。それは、
小麦粉を断つ食生活です。
「不耐症(ふたいしょう)」という言葉、皆さんご存知でしたか?
私は、つい最近知りました。
実はわたくし、30歳くらいを境に、食べると体調不良を起こす食品が増えてきました。
粉ものは数年前から自覚し始め、2013年の夏に、以前のブログでもこんなことを書いています。
2013/8/15 わたしは、小麦粉もの(パンやそうめんなど)が多くなるとダメで、そして そもそも冷たい物の食べ過ぎ飲み過ぎ・・・何見ても 脳は食べたいんだけど、胃はまったく動かないから、そんな時は、まず絶食。そして ぐーとお腹がなるほど空腹になったら、ご飯をすこしずつ良く噛んで食べて、元気になるのを待つの・・。
2013/8/18 (美容室で)「それ小麦アレルギーなんじゃない?」とも言われる。大人になってアレルギーが発症することって結構あるらしい。わたしのは、重篤じゃないけど、その一種なのかもな。とにかく大量に食べないように気を付けよう。 これも忘れないようメモる。最近は、これを食べるとそのあと調子が良くないっていうものが増えた。体が、変化し続けている、・・不安定なお年頃。
この8月15日には、娘とショッピングに出掛け、ランチにパスタを食べたのです。
量が多くて、食べ過ぎだったのもあるのですが、しばらくしたら具合が悪くなってどうにも出来なくなり、夫に車で迎えに来てもらった、という顛末です。
その後も、小麦粉ものを食べると胃の調子が悪くなるので、「私は小麦アレルギーなのか?」と、疑ってはいたのです。
でも、いつもいつもというわけではなく、小麦粉が入っているはずのケーキやクッキーは全然平気だし、トースト1枚とか、餃子を5~6個とかでは何ともないのです。
発疹も出ないし、呼吸器系も異常なし。
でも、やっぱり、おかしいことが多い。
いつかは、お昼に手作りしたニョッキを食べたら、なんと次の日までずっとそれが消化出来ず、お腹に居座りました。
そうめんだけで一食を済ませた時や、パン屋さんの美味しそうなパンにつられて3個ぐらい食べたあとも、ずっと胃部膨満感で気分が優れません。
そういうわけで、自覚ありありだったので、ここ数年、例えば家族にはおうどんを作ってあげても(ふたりは麺が大好き)、自分はそのお汁に豆腐を入れてそれをおかずにご飯を食べるとか、インドカレーに2人にはナンで、自分だけライスというような食生活を、無意識にして来ました。
それでも、なんとなく(根拠なく)今日は平気かも、自分のだけ別に作るのも面倒だし・・と思って、つい先日にゅうめんを作って食べたら、やっぱり消化できず、胃部膨満感で一日不快なまま過ごす羽目に。
遅ればせながら、私のこれって何? と、検索してみたら、
ありましたありました・・・・
「グルテン不耐症」
ばっちり、当たってます。
読むと、「アレルギー」と「不耐症」はまったく違うものだそうです。
アレルギーは、短時間で少量でも発症し、生死に係る重篤なものになり得るもの。
一方、不耐症は、しばらくして(数時間後~)から症状が出始め、少量では発症しないこともあり、生死に係るものではないので、逆に食品の特定がしにくいことも。
私は、食べている際中と直後はまったくのご機嫌さんで、その約1~2時間後から、だんだんと体調が下降していきます。
5時間たっても6時間たっても、食べたものが消化されず胃に留まり、(胃のように感じているのですが実際は小腸らしいです)膨満感で何をしても集中できず、疲労感(消化しようと体がエネルギーを使うらしいです)料理をする気も起きず、作っても、脳は食べたいけど消化器系は受け付けない、そういう状態です。
(-_-;)
はあ~・・・・・
これ、血液検査でちゃんと調べることも出来るそうなのですが、費用も高いらしく、それよりも自分で原因物質を断ってみることが一番確実なわけです。
ということで、やらなくてもわかっているのですが、このたび、グルテン断ちを始めてみました。
小麦粉はあらゆる食品に入っていて、(醤油にさえも!)すべてを厳格には出来ない(するつもりもない)ので、出来る範囲です。
・パン →好きだからな~・・・ひとつだけにしますか。
・うどん・そうめん →そばにする(なるべくそば粉の比率が多いもの)
・やきそば →焼きビーフン(ケンミンの焼きビーフン大好き!)
・パスタ →好きだからな~ ちょっとにしておきましょう・・
・ラーメン(たまにしか食べないけど) →フォーにする
・餃子とか焼売とか、揚げ物の衣などは、たくさん食べ過ぎないようにする
とにかく、伝統的な日本食に徹する、基本お米です!ごはんです!日本人でヨカッタ~
・洋菓子→なるべく和菓子に(和菓子大好き!オーライオーライ)
海外で流行った、グルテンフリーダイエットというのもありますよね。
私はもう今更特に痩せたいとは思わないので、これやって、もし不快な時間がなくなるのなら、その分仕事がはかどったり、気分よく過ごせたり、いいことがあるといいな、と思っています。
原因物質を除去すると、
・寝起きがよくなる
・集中力が増す
・午後の眠気がなくなる
・便秘や下痢の解消
・PMSや更年期障害の解消
・お肌もきれいになったりする みたい。
ふふふ・・・・
みなさんは、何かそういうものはありますか?
・乳糖不耐症=牛乳を飲むとお腹をこわす。
・アルコール不耐症=飲むと頭痛やめまいがする。
超カンタンに、一言で言い表すなら
「合わない!」 ってものです ・・・
わたしのトライアルの経過は、またそのうちご報告しようと思います。
その後の記事はこちら
年末・・・・・
大掃除の季節ですね。
掃除しなければならない場所が多すぎて、考えたくない。
だって、キッチンに出しっぱなしのやかん、こんなに汚れるまで放っとく人ですから。
我が家みたいに、古いものが多いと(実はガラクタ、人から見れば)、「多少の汚れは “味” !」っていう考え方、つい持ちがちだけど、危険です。
そんなこと有り得ません、実際は。ただただずぼらの言い訳。
ですから、
重曹水をスプレーして磨きましたよ、いつかはやらないといけないし。
一応・・ 少しはきれいになりました。
お湯が沸くのを待っていると、だいたい何かほかのことを思いついて気持ちがそっちに行ってしまう。
かなりの確率で、やかんのこと忘れてしまい、笛で注意される私。
やかんは、笛つきケトルの一択。他の選択肢はなし。
針仕事をする時、みなさんどこでやっています?
椅子に座っているのか、カーペットの上に座っているのか、それとも立って?(笑)
あぁ、これはネ、昔お店の営業中にたまに立って縫っていたこともある私みたいに特殊な環境では有り得なくもないってだけで、だいたい椅子に座るか、床に座るかしてやっていると思うけど、いつもだいたい同じ場所ですか? 定位置が決まっているのかしら?
もし、縫い物で肩がこって困っているなら、まず場所を変えてみるといいと思うの。
肩こりがまったくない私、実は針仕事をする決まった場所というものがありません。
椅子にも座るし、床にも座る。堅い木の椅子だったり、ソファーみたいな柔らかい椅子の時もあるし背もたれのある椅子、背もたれのない椅子、前にテーブルがあったり、何もなかったり。床に座っても、下はカーペットだったり、木のフローリングだったり。座布団があったり、無かったり。横座りしたり、体育座りだったり、足を伸ばしていたり、曲げていたり。
いろんな姿勢でやってみるし、いろんな格好で縫える。
それはね、大事なことがクリア出来ているからなの。
縫い物を快適に進めるために、気をつけなくちゃいけないのは、
目と手元の距離 これだけです。
でも、いつも気持ちよくスイスイ縫えていて何の問題もない人は下手に意識しないで、今の状態を維持して下さいね。
首や肩が凝って、縫うことは好きだけど、どうも体調が悪くなっちゃって・・なんて人は、手の位置を高くするか低くするか調整してみてみるといいと思います。
まず、手の下に何か安定するものを置いてみる、本とかクッションとか何でもいいから。
おしりの下に何かあてて、目線を高くしてみるのもいいかも。いつも同じ場所で自分の席みたいに決まっている場所、そこが一番いいのかもしれないし、もしかして
そこがいけない のかも。
試しにほかの場所で、ほかの姿勢で縫ってみましょう。
でも
元来、肩が凝る人は、やり過ぎの傾向にあるの、しかもそれに気づいていない。
みんな いったいどれくらいやってるのかしら?私はね、飽き性だからまず1時間やると飽きちゃいます。
ふー とか言って、別のことしてまた戻って来て、トータル2時間もやればもう充分。
体はぜんぜん凝ってないけど、この辺でやめておくのがいいでしょうね。
どんなに好きなことも、やり過ぎは良くないわ・・・
好きなればこそ、限界を超えてしまうってことがあって
私は16年間お店に立っていた間に、腱鞘炎などでドクターストップかかった方3人にお会いし、そのうちのお一人は、手術もされていた。キルト作りが原因で、よ。
悲しすぎる・・・好きで好きでたまらないのに、もう出来ない。出来ないのはわかっているけど、「見て楽しみます」と、笑ってたくさんの布を買って帰られた・・・
私は心の中で号泣、気持ちの持って行きようがなかった。
楽しくて、心まで癒してくれる針仕事が、牙をむいて、体を蝕む瞬間。
そこまではいかなくても、ずっと同じ姿勢で長時間目と手を使い続けるのは決していいことではないんだから。つい時間を忘れてやり過ぎちゃう っていう人は、アラームかけておきましょ!2時間以上やっちゃ駄目~(笑)
それから最近は、ベビーキルトを手作りして下さる方も増えたけれど、くれぐれもお腹が大きい時の針仕事は、気分のいい時だけにして下さいね。
夜更かしも、ほどほどに。
あー、また少し針から話が飛んじゃったわ。
でも 道具としての針の話はそんなに興味をそそられないけど、みんなこれには耳が大きくなるんじゃないかしら?
針目の大きさ。
自分の針目が、大きいのか小さいのか、気になるみたいね、みんな。
わたしー??どうだろう、あんまり人と比べようと思ったことないかも。
そう思えるのは何故かっていうとね、私は『わたしの理想の針目』っていうのを、ちゃんと持っているからなの。
針目は、大きいか小さいかなんて、そんな単純な基準で良し悪しを決めたりしちゃ駄目。
縫い目っていうものは、感情表現と同じなの。
たとえば、繊細でフェミニンな雰囲気の作品には、細かくて優雅な針目、素朴でオールドな雰囲気のものには、少しざっくりと、不揃いでもOK。ポップで茶目っ気たっぷりなものには、針目はかえって大きい方が似合ってる。
こんなふうに、自分で針目をコントロールして、イメージ通りに縫い上げる。
それが私の理想。
ただ、なかなかいつもそう上手くはいかないわよ、私も今まさに修行中ですから。
デザインを決めて布を選ぶ、布や糸の色をあやつる、それと同じように縫い目もまた作品を構成する大切な要素のひとつ。細かく小さく縫うことだけが 常にいいとは限らない。
針目自体の大きさ、縫い目と縫い目の間隔をどれぐらいあけるのが自分の理想なのか、どんな針目を美しく感じるのか、ちゃんと自分で意識しないと。
針目も大切な表現方法のひとつだから。
こうしたいという思いがあればこそ、そうなっていく。
ただ表面的に、縫ってあればいいっていうのでは何だか浅いし、私は針目に表情があって何か語りかけて来るようなのが好き。
パッと見すごく大きくて下手、でも、とてもその作品に合っていて人柄が表れている、そんなのを見ると、
「あ~、いい針目だな~、これは・・・」と思う。
手で縫う良さは、きっとそこにあるのです。
思うだけでも手は動く。不思議なことにね。
でも、まぁ そうは言っても気になるだろうから縫ってみました。
これはわたしのレギュラーな針目。
針目と針目が離れているのが好きなの。
手と言えば、指ぬきは、悩みの種よね・・・。私もなかなか自分の手に合うのがなくて、何個買ったかしら・・・キルティングは金属のシンブルをしてやるんだけど、サイズがどうもみんな大きくて内側にテープを貼ったり指に絆創膏はったりして取れないようにしたり・・・逆にしっかりはまって固定されちゃうと、今度ははずれて欲しい時にすぐに はずれない。
あーーイライラするわーーー (`◇´*)
面倒だから最近はだんだんどうでもよくなって、痛くなるまでは素手で頑張る!みたいな日もあります。
いまだに自分に合ったものを捜索中です 指ぬき は。
さぁさぁみなさま 自分の手に合う針は見つかったかしら?
自分の手の繊細な感覚を受け止めてくれるのが、「良い道具」。
私はそんなふうに思います。
一人一人、自分に合うものが必ずあるはずだから、まずは道具箱をきれいにしてみましょう。
私も久しぶりに、これからやります!
(^-^)
おわり
私が使っているのは・・・、その辺に売ってる普通の針。
「誰もが簡単に手に入れられる材料と道具で作る」っていうのも、私の物作りのポリシーだから。
パッチーワークキルトを作る時に必要な針は
1.ピーシング(布を接ぎ合わせる)時や仕上げのまつり縫いに使う縫い針
2.しつけをかける時のしつけ針
3.キルティング(芯を当てて上から刺し子する)時のキルト針 そして
4.まち針。 大きく考えてこの4つ。
でも別に全部を1本でやったって、出来上がればいいの実際は。
私が思うに針を選ぶポイントはたったふたつだけ。
それは言うまでもなく、「長さ」と「太さ」。これはあくまで私個人の考えだけど、 この、長さと太さをどうやって見極めるかだけど、私はとっても単純に考えています。
太さは「布の厚み」と連動していて、縫うものが厚くなれば針を太くしていけばいい。
長さは「自分の指」に関係していて、自分がどうやって針を持っているか、いつもどうやって縫っているか、あらためて見直してみればわかるはず。
今使っている針が、あともう少し長かったら、もしくは短かったら、もっと縫いやすいのかも、と想像して試してみればいいのです。
道具の類は、一発で自分に最適なものが見つかることは稀だから一度買ってみた針が(またはその他の道具が)手に合わなくたって簡単にはへこたれないで!
何度でも、自分が納得いく針に巡り会えるまでしつこくいろいろ試してみましょう。
数百円の無駄遣いには目をつぶり、忘れ去るべし。
さて、縫い針ね、
私は、 四ノ二(しのに)っていうのを使っています。これは日本の手芸業界独特の表記で四は絹針のこと、二は一寸と☆分の☆の部分を表しています。だから私のは、長さが一寸二分の絹針っていう意味。一寸は約3cmだから、長さはだいたい37mmぐらい。ちなみに三ノ五は長さ一寸五分の細めの木綿針ってこと。(二は太い木綿針、一はさらに太い針)
私が縫うのは大体いつも薄手の木綿で、絹針がちょうどいい針通り、この針を使い始めるまでは適当にいろいろ使っていたけど、四ノ二で縫ってみたらスイスイ気持ちよく縫えたから、きっと私の針の持ち方、指の太さや長さにピッタリだったのね、もう長年、これ。
同じように、キルト針やまち針も、とにかく自分にあっているのを探しましょ。もし手元にいろいろ針があるのなら、とりあえずいろんな針で縫ってみて、一番気持ちよくすんなり縫えた針の長さを測ってみたり、それをお店に持って行って似たように見える針を買うのも手。
細かい事でいろいろ注意する点はあるのかも知れないけど、指の形や針の持ち方って百人いたら百通りなんだから、これはもう他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない、自分の手にしっくり来る納得の針を見つけましょう。
実際私の使っているのは、私にはいいけど、みんなにいいとは限らない。その昔、四ノ二をお勧めしたお客様が、頻繁に針を買いに来られので不思議に思ってお聞きしてみたら
「折れるんです」と恥ずかしそうに言っておられたことがあったっけ・・・
生まれてこのかた「手縫い」で針を折ったことがない私には、軽い衝撃。
折れた???? (゚0゚)
すごく力を入れて縫っていらしたみたい。
そして、四ノ二はその方には細すぎた。
「肩 凝りません??」とお聞きすると、やっぱりものすごい肩こりで、首も痛いとのこと。無駄に力を入れ過ぎだと推察されました。
私は自慢じゃないけど、縫い物で肩こりは全然ないの。
我ながら天職?と 思ってしまうぐらい。(やっぱ自慢)
ところで
縫っている際中に、糸がこんがらがって結ばっちゃうことよくある人、手上げてー!
(・ ・)/
はい!今 手上げたあなた!その上げた腕より、異常に長い糸通してません?
自分の腕より長い糸通したら、1回で引ききらないでしょ・・・
┐(´-`)┌
しかも糸は常に布との摩擦にさらされているから、そんなに長く同じ糸で縫うのはよくないの。
玉になって糸が結ばるのは、糸の「撚り」のせい。摩擦はさらなる撚りを生む。だから、まず必要以上に長く通さないこと。MAX70cmぐらいです。
そしてゆっくーりゆっくーり糸を引くこと。「しょっちゅう糸が結ばるんです」と言う方に限ってものすごい勢いで針を抜いていて、しかも、縫っている手元から目を離す。
そんなに急いで何かいいことあるんでしたっけ?
結ばってとれなくて (*`∧´) キーッてなってたら早く縫ったって同じこと。ゆっくりじっくり、糸が引かれていく様を最後までじーっと凝視してね。まばたき禁止~(笑)
私の印象では、縫う速さと肩こりはシンクロしている気がします。ゆっくり縫うとね、それだけで肩こりも減るんじゃないかしら・・・。進みは遅くても、たぶん最終的には能率もあがっているはず。あと、肩こり防止には、縫っている時の姿勢も大切で・・・
つづく
「針はどうやって捨てたらいいですか?」って、時々聞かれることがあるけど、みんな、どうやって針を捨ててます?(・ ・)
『針を捨てる』って聞くと、つい「針供養」のことが頭に浮かぶけど、そうねぇ・・そういう日本の美しい風習があるということを、覚えておくだけでよし。現代社会ではあまり深刻に考えなくても大丈夫です。
ゴミとしての捨て方は、地域の決まりに従えばOK。
私の住んでいる練馬区では、刃物や針は「紙などに包んで」ってガイドブックに書いてあります。要するに収集して下さる方が怪我をしないよう危険物とわかるようにして出せばいいみたい。
私はいつも2つの段階を踏んで捨てています。
まず、道具箱の中に、「ダメ針入れ」って呼んでる入れものがあって、縫っている時少しでも気に入らない針があったらそこに入れていくの。
私は、こんな、小さいジャムの空き瓶を使ってます。
どんな入れものでも構わないんだけど、大事なことは縫っている時すぐそばに置いておけるってこと。これは一時置き場だから、入れもの自体は捨てないし、道具箱に入れておける小さいもの、できれば見た目も可愛いお気に入りの容れ物があるといいですよね。
常にベストな針を使うようにするには、ダメな針を選り分けるのが億劫にならないようにすることがポイントなの。それにはまずこの第一段階で気軽にピュッと捨てられる環境を作っておきたい。立ってどこかに捨てに行くんじゃ、つい針山に戻したくなっちゃうでしょ?そしたら永遠に新しい針には変えられない、コンディションの悪い針がエンドレスに針山にたまり続けるのよ。とにかく戻さなくて済むようにしないとね。
そして第二段階は実際に捨てるものに移しかえていく・・・例えばこんな、蓋のあるコンビニスイーツの入れ物。
私は、カッターの刃やホッチキスの針、曲がったクギや画鋲なんかは全部ここに集めて溜まったら蓋がとれないようにテープで貼って、不燃ゴミの日に出しています。
あら、よく見たら私のソーイングケースの中にはいろいろな入れ物があるのよね。針を入れておくのにミントの缶も使っていた。 (゚0゚)
なんだか食べ物ばっかりね・・・ (^-^;
でも、お菓子の入れ物って可愛いのが多いから、きっとみんなもひとつやふたつ取っておいてあるでしょ?
え? ないからこれから買いに行く? ( . .)
うん、それも有り!やっぱり何でも形から入らないと。
そうそう、それで思い出したけど、以前『型紙に使う紙はどんなのがいいのでしょう?』と質問されたので
「そうですね、厚紙、一番いいのはケーキ屋さんの白い箱ですね」とお答えしたらそれがものすごくツボに入ったらしく、
「これから○○を作るので、まずケーキ屋さんに行って、ケーキを買ってきます!」と、毎回
何か作る→型紙→ケーキ・・・の法則を実行している方も。
私も何かにつけて、ケーキは買います、そして箱を平らにしてとっておくの。
うーーん、楽しいわ~~~手作りって。これぞ、ワクワクのスパイラル!ケーキを食べるところも作業の一環。(笑)
あ、針の話からそれてしまった・・・
きっとみんな、人がどんな針を使っているか、お薦めの針ってあるの?って、そういうことが知りたいんですよね? 多分。
でも、私が使っているのは・・・
つづく
一日のうち、たった一針でもいいから、針を持って、何か縫おう・・・
そう思って暮らしているけれど なかなか思った通りにはいかない。
時間がないのではないよ、多分。時間は、自分が作ればいいのだし。
とにかく、間をあけるのが一番いけない。
せっかく手が何かに気づき始めていたのに、間をあけるとそれが元に戻ってしまう。常に、手を動かし続けていないと。
上手くなるのには、その、一本の道しかない。
さて、(・ ・)
今日から針や道具について少し書いてみようかな、と思います。
と言っても、私はさほど道具にこだわりは持っていません。でも、今までたくさんのお客さまや生徒さんと接して来ましたが、そんな私よりさらに輪をかけて無頓着な方が多いのには正直驚きます。
苦笑い、(^。^;) ←ほんとにこういう顔です、実際。
いえ、笑っている場合ではありません。
もうちょっと何とかしようよー、という方も結構いらっしゃいます。
「それ使いにくくないの?」と聞くと、
「使いにくいです!」 と、元気にお答えになる。
ですよね・・・・・
みんな、上手くいかないことがあるとそれは自分のテクニックが未熟だからと思い込んでいるみたいだけど、
実は、道具の選び方や使い方が間違っているってことがあるのですよ。
だから、本当はとても大切なこと、真剣に考えないといけないことなんです。
まず、さっそく「針」のことですが・・・
まさかとは思うけど、針は無くさない限り一生使えると思ってたりしませんよね?
もー、
針は、 消 ・ 耗 ・ 品 !
自分の針山をこの際よーく見つめてみて。
どお? (・ ・)
曲がった針が刺してあるんじゃない?
ミシンを使った時、踏んじゃって曲がったまち針を後生大事にピンクッションに刺してあったり?
古い針が錆びて、ピンクッションに赤茶色の点々がついているとか?
全く使わないのに、糸が通ったままの太くて長い針が刺してある?
苗字がマジックで書かれた息子の家庭科のまち針が?
母親から譲り受けた洋裁用の虫ピンが無数に?
んーーーーーー
よろしくないですね~~~~~。(笑)
この際、一掃した方がいいかも。
まず、曲がった針は捨てましょう!
そのまま針山に刺しておくと、曲がっているのに限って無意識に取ってしまい、「あ、そっか、これ曲がってるやつだ」と、いちいちほかのに変える、そのひと動作の繰り返しが時間の無駄でしょ?
言うまでもなく、曲がった針では正確な作業は出来ません。
それから一度も使ったことがないものは、針山に刺しておかないで!
錆びた針も捨てましょう。錆びてなくても、ほんのちょっとでも布がひっかかる感じがする針は全て捨てましょう。
針山には、縫い針、またはキルト針1本と、今縫うために必要な本数のまち針だけで十分。
もちろん、まち針は新しくて針通りのいいものだけを。本数も数えて、自分の決まりにしてしまうの。
そもそも、
針山に針をずっと刺しっぱなしにしちゃいけないと思うの。
毎日のことだから、私も当然刺しっぱなしにしちゃっているけど、本当は片付ける時、針はケースにしまうのがいいのだと思う。
プラスチックの、針を収納するためのケースも売ってるみたいだし、紙を折って入れ物にしてもいいし。
日本は湿気が多い国だから、針にしてみたら過酷な環境。 針山も、本当は布を使っていないマグネットピンクッションみたいなのが一番いいのかも知れないけど、 あの機能性一辺倒なカワイくない感じが好きになれなくて、私は使っていません。
だから、作業が終わったら、写真のようにまち針をみんな針山にうずめておくの。針先だけだと、布との接点が腐食してしまうから。
刺しておいた針が1本でも錆びたなら、針山も変えた方がいいかも知れないけど、とりあえず常に使える状態のベストな針を、必要最低限だけ出しておく、 まず、ここから始めてみましょうよ。
さて、その、針の捨て方だけど・・・
つづく
私に、 メールやお手紙を下さった皆さんの中では
「先生に習っていないこと」を気にしている方が、本当に多かったのです。
それはもう、なんだか、隠れキリシタンのごとく、 自分がやっていることが、まるで世間では異端とされているもの、公には出来ないことをしているかのように、息をひそめている様子は、 悲しいほどだった・・・。
だから
わたしの、自己流について書いた一節なんかが
「勇気が出た」
「自分に自信がもてるようになった」と、 少なからず慰めになったのかも知れません。
でも確かに、その気持ちはわかる。
考えてみたら、誰にも習わなくたって、物を作っていいわけだけど、それでもやっぱり先生について学ばなければ
なんだかそれは正統派じゃないような、邪道なような気がしてしまう。
きっと、どんな分野でも、誰でも同じ、 多分、一人でやってる孤独感がそうさせてしまうんだよね。
私も、今でこそ開き直っているけれど、やっぱり以前はなかなか大きな声で、誰にも教わっていないことを自慢する気にはなれなかったもん。
でも、みんな、そんなこと、もう気にしなくていいんだよ。
だって、絵を描く画家に資格がいらないように、ものを作るのに、身分や肩書きなんて必要ないのだから。
先生ったって、ちょっと経験がいっぱいの、おばあちゃんの知恵袋的なものに過ぎないって、まぁ、言えなくもないし。
いろんなやり方の先生がいるし、答えは決してひとつじゃない。
意外にも自分でいろいろやってみたら、昔からの伝統より最先端技術の方が結果的に良かった、なんてこともあるかも知れないしね。
ま、そんなこと言ったって、 そりゃぁもう、経験豊富な先人の教えは、尊いものであるのは事実。
とりあえず、人に教わることの一番のメリットは、何と言ってもその手っ取り早さ。
自分一人でやっていたら、1年かかってやっと見つかったものが、先生に教われば一瞬なんだからね。
でも、そもそも、人に「物作りを教えるって、必要なことなのか?」 と
小規模ながらそういうことをしている自分自身にも、この機会に自問してみたのです。
これは私の個人的な意見だけど、
教えることは、少なからず「影響を与える」行為のはずだから
「直接的な教え」は、なるべく控えた方が良いのではないか、と思うのです。
私は、今自分がやっていることは、単なる「案内人」だと思っているの。
そうそう、
昔、まだ幼児だった頃のペンちゃん(娘)が、脚がいっぱいある、それはそれはファンタジックなものすごく可愛いテーブルの絵をいつも描いていたのだけど
ある日私が、遠近法で見た時のテーブルの描き方を教えたら、2度とあの可愛いテーブルは描かなくなってしまった。
ペンちゃん自身は、大人みたいなカッコいいテーブルが描けるようになって喜んでいたけど、私は後悔の念と、苦い思いを噛み締めた・・・。
つまり
教える側は、踏み込んではいけない領域を常に意識すべきで、何か大事なものを捻じ曲げるように教えてはならないと思う。
特に子供や独自性を強く持った人には余計な「指導」なんてしないことよ。そして
教わる側は、習得したものを一度自分の中で消化して自分のチカラで反芻する心構えが必要。
教わったものをそっくりそのまま踏襲するのは職人の世界にのみあるべきで、 趣味で自由に作る場合や、アーティストを目指す人は、先生の影響をそのまま自分のものと錯覚しないで、最初はまねでもいいからそこから少しずつ自分を発見していかなければなりません。
わたしが最も重要だと思って意識していることは、 何か作る時に、「自分にしか作れないものを作る」ってこと。
でも、不思議なことに自分は自分であるにも係らず、「自分らしさ」っていうものは、なかなか自分ではわからないものなのよね・・・。
「自分らしさ」っていうダイヤモンドを発見するまでには、実際結構な時間を要するもの。
そのダイヤが埋まっている鉱山がゴールだとすると、そこに辿り着くには2本の道があって
一つは、険しく長い道のりなんだけど、道中には珍しいものや美しいもの、新しい発見なんかがあって、時間はかかるんだけど、のんびりと一人で気楽な道。
もうひとつの道には、ちゃんと道案内人がいて、着実に短時間でゴールまで導いてくれるけど、案内人の背中しか見なくなって、美しい風景には目を留めなくなってしまうし、しかもその案内人が、別の違う山に連れて行っちゃう可能性もある。
実際に私が思うには、ふた通りのアプローチがあって
一つは、誰にも教わることはせず、影響を受けるのを嫌って人の作品もあまり見ないし、あくまで自分の「内側から自分を見い出す」方法。
もう一つは、誰かに教わったり他者の作品を見て研究したり模倣したりしてみて、そこから自分との違いや共通点を見つけて、「外側から自分を見つける」やり方。
前者は、得るものも深いけど、ひたすら時間が掛かるから、つらいね・・・。
後者は短時間で辿り着ける可能性が高い反面、教わったことを、一度自分の中で消化しなおして、自分流に形成しなおすっていう高度な技が必要。
結論は、
習うのも良し、習わないのもまた良し。
どちらでも、性格に合っている方を選べばいい。
だから、習っていないことを気に病む必要は全くなく、時間をかける覚悟があるなら、独学ほど実り多いものはないと、わたしは思う。
もしも教えを乞いたいと思う先人に出会えたのなら、それはものすごく幸運な人だな・・・。
ちなみに私は前者で、厳しく、歩みはのろのろなんだけど、道は無数にあって自由でしがらみや束縛もない。
そーねぇ、道というよりは、広々とした大空を飛んで回って、雲のすき間や木々の間から、キラッと光る自分を探しているような感じ。
見つけたら、すぐさま急降下して持って帰り、ブリリアントカットにして磨いて宝石箱に大事に仕舞っておくの。
いろいろな所に、それは埋まっているんだよね。
だからいつも目を凝らして、探している、「自分らしさ」をね。
ずい分抽象的でむずかしい言い方しちゃったけど、実際は、先生に習うのはそれはそれでとても意味のあることだし、一人でいろいろ自由に作ってみるのはさらに素晴らしいことだし、例えば 私が売っているような材料がセットされたキットみたいなものを好きでたくさん作り続けていたら、ある日光が射すように自分の好みや求めているものがはっきり見えてきたっていう話も聞くから、それもやり方のひとつかも知れないね。
導入部は、自分が心から楽しいと思える物を作ればいい。
そうやって場数を踏んでいくうちに見えてくるものこそが、実は核心を突いていて、どんな「先生の教え」より価値があるのだと、私は思います。
ところでみんな
「物を作る」なんて言ったって、それは展覧会みたいな所で見るすごく大きくて芸術作品みたいなのを作れる人の話でしょ? って思っていたんじゃない?
自分の作っているものは、ティッシュケースやコースターみたいな、小さくてどうでもいいものだから、そんなレベルじゃないって・・・・
いえいえ、そんな風に思ったあなた、 そこには大きさや密度の違いはあっても、レベルの高低なんてないの。
大きな会場で人に見てもらう為の作品作りは、もちろん壮大な創作活動だけど、日用品だけを作る人だって立派なクリエイター。
私から言わせれば、そこにこそ難しいことがいっぱいあって、出来の良し悪しが如実に表れるもの。
それに、すごい大作キルトを作れる人は、小さな日用品を作る難しさも知っている人が多い。
それを考えると、簡単そうに見えるものにこそ複雑さがあって、実はやってみると出来ないし、 一瞬どうでもいいと思える物にこそ、 『オリジナリティーの追及』が必要なんだってことの証し。
それこそが物を作ることの唯一無二の目的で、企業のデザイナーなんかは、みんなそこに時間もお金も費やし、
苦労していろいろなものを作っている。
真の自分らしさに辿り着く方法は、きっと一人一人違っているから、誰も(もちろん先生も)教えてなんてくれない。
結局は自分次第なんだよね・・・
デザインや色の勉強だけしてればいいと思ったら、そんなのまだまだ浅瀬でピチャピチャ水に触っている赤ちゃんみたいなものだってわかったのは、 ずいぶん歳をとってからだったな・・・。
くーー おそい・・・
でも、今はね、 遅くてもいいと思ってるの、それで。
だって、それが私だもん。
こうして、ずっと長い文章を書いていたのも、読んでくれている誰かに向かって言っていたのじゃなくて
本当は、わたし自身に語りかけていたのね・・・。
さて、みんな、今日も何か作っている?
多分ね、そこにもダイヤが埋まっていると思うわョ。
見つかったら、きれいに磨いて、大切にしまっておいてね。
決して、人のと比べたりしないで。
お わ り
大きいキルトを作るに際し.1~4を読んで下さった皆様からたくさんメールやお手紙などいろいろいただきまして、書いた本人、正直、ちょっと焦りました。
でも、ほんとに、ありがとうございました。
「共感しながら何度も繰り返し読んだ」
「思い当たることばかりで、パソコンに向かってうん、うんと頷いてしまった」
「自分の進む道が、明るく照らされたような気がした」
「迷いが消えて、自分に自信が持てるようになった」
など・・・・・・、いいことばっかり言っていただいて、ほほー?私の文章にそのようなチカラが?
と、すっかり誤解する私。
実際は、ひとりドキドキして、心臓に悪影響を及ぼしておりますが・・・
でも、
この機会を通して、みんなどんな気持ちで物作りしているか知ることが出来て、 思いがけず、貴重な経験になりました。
「始めたばかりなのですが」、「長年自己流で続けています」と、みんな、それぞれが、キルト作りが大好き!
つくづく、「好き」に勝るものはないな~、と あたたかく、幸せな気持ちでいっぱいになりました。
反面、
みんな誰にも話さずに、一人で考えたり悩んだりしていることもわかりました。
やっぱり、好きなこと、楽しいこととはいえ、物を作るっていうことは孤独な作業で、常に自分との対峙。
基本的に、みんな自分に厳しいのよね・・・それはもう、気の毒なほど。
どんなに誰かが褒めてくれても、自分自身を満足させるのが一番むずかしくて、自分が満足できるものなんて、そうそう作り上げることは出来ないもの。
もしそんな時が来たら、そのあとは、もう作るものなんてなくなるんだろうね、きっと。
私はまだそんな地点に到達したことは一度もないから、「あーあ」と思いながら、繰り返し繰り返し作る。
しかも私はみんなほど自分に厳しくないから、失敗する自分も結構好き。
その失敗もなかなか大胆で、 何百枚も裁断したあとに、この布とこの布は合わないって気づく、とか
表をぜーんぶ縫い終わったあとに、ボツにすることもよくあるわ、日常。
たいてい、一度ケチがついたものは再度使わないので、小さな直角三角形の布が大量に廃棄になったり
完成にいたらない試作が紙袋の中でしわしわになっていたり。
その処理には困るけど、私は物作りにおける失敗を、あまりクヨクヨ気にしない。
それは、『必要悪』だし、反対に、ダメだって気づけた自分にこそ注目に値する。
失敗したことに気がついた自分、 それは1段ステップアップした成長した自分。
もちろん、同じ失敗を何度も繰り返すけど、そのたびに何かしらの「気付き」がある。
みんな、自分は「違う違う」って思っているかも知れないけど、潜在的な完璧主義の人ってすごく多いの。
何か作ってみたいと、思ってはいるけど、でも 「失敗はしたくない」、「失敗する自分が許せない」のなら、あなたは立派な完璧主義者!
当然、誰だって、別に失敗なんかしないまま、成功に辿り着きたい。
でも
使い古された言葉だけど、「失敗は成功のもと」って、物作りにおいては、やっぱりこの言葉は正しいと思う。
大人になってから物作りを始めるとどうしても知識が先行してしまって、子供の頃ように思いのまま物を作れなくなってしまうのね、残念なことに。
どうしても他人からの評価が気になるし、ああしてはいけないこうしてはいけないという禁止事項に、頭も、感性も、支配されてしまう。
分別のある大人が、一度つけてしまった知識を捨てるのはまず無理で、感性を子供の頃に戻すっていうそんな神業が出来るのが、いわゆる『天才』っていう人。
私は残念ながら天才なんかじゃなく、一般的な凡人なので、仕方がないから常に物を作る環境に自分を置き続けることでカバーするしかなく・・・。
私は、小さい頃から絵を描くことや手で何か作るのが好きで、大学に行ってまで物作りを学んだわけだけど
結局、先生や教授が教えてくれたことは、技術やテクニックなんかじゃなくて
『物を作ることを通して、自分がどんな人間なのか表現しなさい』
っていうことだったのよね・・・。
作ったものには、自分が出る。
大袈裟な言い方だけど、自分の「生きざま」が出るのですよ。
だから自分を磨き続けなければいけないの。
ただ、その途中には、ダメな自分や、失敗する自分も居る。
でも、それが、生きている自分。
息をして、笑ったり、泣いたりしている自分。誰にも、同じ生き方は出来ない。
作るものもそう。 同じものは、誰にも作れない。
同じ材料で、同じデザインで作ったって、布の扱い方や、針目のひとつひとつはみんな違っている。
そこには作り手のセンスや美的感覚、ひいては人生観までもが表れている。
もしそれが自分の理想と違っていたら?
少しでもそこへ近づくように、分析したり、練習したりしていくの。
謙虚に、辛抱強くね。
次はきっと、ちょっぴり、近づいているはず、必ず。
だから、みんなも決して自分を否定しないで、まず自分自身を好きになることからスタートするといいと思うな。
今日もみんな手を動かしているかな?
丁寧に、ゆっくりね。
その一針も、自分だから・・・。
つづく 次はほんとのホントの最終回
やれ計画を立てろとか、シンプルなものにしろとか、いろいろ言ってきたけど、
本当に大切な所は、実はそこじゃない。
大きいキルトを作る目的は、三つあると私は思っていて
ひとつはもちろん、「キルト」っていう「物」を手に入れること。
自分で手作りした物は、ふたつとこの世に存在しないし、思い通りのものはなかなか売ってはいないのだから、自分で作ってそれを手にする喜びは大きい。
温かく柔らかく、色や柄で目を楽しませてくれる、それが手作りのキルト。
部屋に一枚あるだけで、毎日が明るく楽しく前向きになるのだから、これは相当素晴らしいものです。
断然、時間もお金も注ぎ込む価値が十二分にあるってこと。
もうひとつの目的は、
その大きいキルトに、作っていた時間、作っていた自分の記憶が残ること。
そのキルトを見るたびに、その時の自分や家族、季節や音楽がよみがえって来る。
来る日も来る日も眠い目をこすりながら、暑い日は汗を垂らしながら、忙しい日は、一生懸命用事を片付けて時間を捻出して作り続けてきた。
ある時は始めたことを後悔した日もあり、作りかけの状態が部屋の中で邪魔に思えた日もあり、やらねばというノルマのようなものが重荷だった時もあり・・・・・
でもがんばって必死に完成させた!そのキルトを見るたびに、その間の自分が走馬灯のようによみがえる。
もっと歳をとったら、きっと懐かしく思い出されるでしょう、若かった自分、小さかった子供、忙しくて大変だったのに何だか無性に楽しかった日々。
まるでアルバムのように、その一針一針に、思い出が刻み込まれていく。
自分が死んでからも、そのキルトはもしかしてどこかで生き続け
誰かのために存在し続けているかも知れない。
そう考えると、何だかちょっと神秘的な感じさえしてくる。
今、自分の作っているヘンテコなものだって、100年後には立派なアンティークキルトってことよ!
もしかして、私の作ったものが高値で取引きされていたりして・・・・・
無いとは言い切れないし、そんな想像だって、自分だけでしている分には、誰の迷惑にもならないもん。
三つ目は、「作る」っていう行為から、「誰かに何かをもたらす」こと。
誰かっていうのは、主に自分。
何かっていうのは、言葉に表すのは少し難しいんだけど
平たく言うと、「夢中になる瞬間」。
好きなことをやり始めたら、楽しくて楽しくて時間を忘れていたってことあるでしょ?
私も一度ならず経験があるし、いろいろ聞いた話の中には
朝始めてお昼を食べるのも忘れて、一度も時計を見なかった。
帰って来た子供に、「電気もつけないで何してんの!」と言われて、 初めて気が付いた。
ふと見ると外は真っ暗 なんていう・・・。
これは一種の『無我の境地』なのね。
一生懸命ヨガや座禅なんかで瞑想しても、なかなか辿り着くことが出来ない「無心」・・・はてしなく集中して無になるっていう瞬間。
こういう経験って、大人になるとそうそう出来ることじゃないし、時間を忘れるほど没頭できるなんてこと、何かほかに思いあたる?
キルト作りはね、うまくすると、あの境地に足を踏み入れることが出来るみたいなの。
もし今、悩み事や忘れてしまいたい事があったり、別の場所に行ってしまいたいと思っている人がいたら、キルトを作ってみるといいかも知れない。
思った以上の効果を発揮して、別人のようにスッキリした自分。
「無心」なんて、普通にしてたら絶対に到達できない精神状態なんだから、 そりゃもう、脳からも、体のあっちからもこっちからも、 良いものが大量に放出されているに違いない。
だからここで、私は敢えて言ってしまおう。
「大きいキルトは、出来上がらなくたっていい」
えーーーーーーーー!?
(そ、そうなの???)
だって、もし本当に1回でも、1日でも、そんな瞬間を味わえたのなら、目的の一つは達成されたんだもん。
でも
もちろん未完成を奨励しているわけじゃないのよ。出来れば、夢中になれたあとは、冷静に作業を進めてちゃんと完成に至って欲しい。それこそが本来の目的なのだから。
がんばって、楽しく作って辿り着いたその場所に、何が待っているかというと
当然無類の喜びと感動! そして意外にも、 寂しさ。
完成の時。それはそのキルトとの別れの瞬間、 それはある日突然やってくる。
あんなにも、自分を悩ませ苦しめた日々がとうとう終わりを告げる時。
ふと、手がさみしいのに気づく。
なんだか、指先がすーすーして物足りない。
それはピーピー泣いてうるさくて、散らかしてばかりいた子供が、 独り立ちして出て行ってしまった日の、シンと静まりかえった部屋の中。
終わっちゃたんだ・・・・
恥ずかしながら、鼻の奥がツンとしてしまう
でも、大丈夫。
まだまだ作るものはいっぱいあるし、 また 始めればいいんだよ。
何度でも何度でも、自分の思うまま、 好きなものを、好きなように作ればいい。
きっとまた、楽しくてちょっぴりつらい、旅のはじまり。
みんな、旅の支度はできているかな?
じゃあ、そろそろ
いってらっしゃーーーーい♪
おわり
でも、番外編につづく