Blog

針のこと.3

私が使っているのは・・・、その辺に売ってる普通の針。
「誰もが簡単に手に入れられる材料と道具で作る」っていうのも、私の物作りのポリシーだから。

パッチーワークキルトを作る時に必要な針は
1.ピーシング(布を接ぎ合わせる)時や仕上げのまつり縫いに使う縫い針
2.しつけをかける時のしつけ針
3.キルティング(芯を当てて上から刺し子する)時のキルト針 そして
4.まち針。 大きく考えてこの4つ。

でも別に全部を1本でやったって、出来上がればいいの実際は。

私が思うに針を選ぶポイントはたったふたつだけ。
それは言うまでもなく、「長さ」と「太さ」。これはあくまで私個人の考えだけど、 この、長さと太さをどうやって見極めるかだけど、私はとっても単純に考えています。
太さは「布の厚み」と連動していて、縫うものが厚くなれば針を太くしていけばいい。
長さは「自分の指」に関係していて、自分がどうやって針を持っているか、いつもどうやって縫っているか、あらためて見直してみればわかるはず。
今使っている針が、あともう少し長かったら、もしくは短かったら、もっと縫いやすいのかも、と想像して試してみればいいのです。
道具の類は、一発で自分に最適なものが見つかることは稀だから一度買ってみた針が(またはその他の道具が)手に合わなくたって簡単にはへこたれないで!
何度でも、自分が納得いく針に巡り会えるまでしつこくいろいろ試してみましょう。
数百円の無駄遣いには目をつぶり、忘れ去るべし。

さて、縫い針ね、
私は、 四ノ二(しのに)っていうのを使っています。これは日本の手芸業界独特の表記で四は絹針のこと、二は一寸と☆分の☆の部分を表しています。だから私のは、長さが一寸二分の絹針っていう意味。一寸は約3cmだから、長さはだいたい37mmぐらい。ちなみに三ノ五は長さ一寸五分の細めの木綿針ってこと。(二は太い木綿針、一はさらに太い針)
私が縫うのは大体いつも薄手の木綿で、絹針がちょうどいい針通り、この針を使い始めるまでは適当にいろいろ使っていたけど、四ノ二で縫ってみたらスイスイ気持ちよく縫えたから、きっと私の針の持ち方、指の太さや長さにピッタリだったのね、もう長年、これ。
同じように、キルト針やまち針も、とにかく自分にあっているのを探しましょ。もし手元にいろいろ針があるのなら、とりあえずいろんな針で縫ってみて、一番気持ちよくすんなり縫えた針の長さを測ってみたり、それをお店に持って行って似たように見える針を買うのも手。
細かい事でいろいろ注意する点はあるのかも知れないけど、指の形や針の持ち方って百人いたら百通りなんだから、これはもう他人にとやかく言われる筋合いのものじゃない、自分の手にしっくり来る納得の針を見つけましょう。
実際私の使っているのは、私にはいいけど、みんなにいいとは限らない。その昔、四ノ二をお勧めしたお客様が、頻繁に針を買いに来られので不思議に思ってお聞きしてみたら
「折れるんです」と恥ずかしそうに言っておられたことがあったっけ・・・
生まれてこのかた「手縫い」で針を折ったことがない私には、軽い衝撃。
折れた???? (゚0゚)
すごく力を入れて縫っていらしたみたい。
そして、四ノ二はその方には細すぎた。
「肩 凝りません??」とお聞きすると、やっぱりものすごい肩こりで、首も痛いとのこと。無駄に力を入れ過ぎだと推察されました。
私は自慢じゃないけど、縫い物で肩こりは全然ないの。
我ながら天職?と 思ってしまうぐらい。(やっぱ自慢)

ところで
縫っている際中に、糸がこんがらがって結ばっちゃうことよくある人、手上げてー!
(・ ・)/
はい!今 手上げたあなた!その上げた腕より、異常に長い糸通してません?
自分の腕より長い糸通したら、1回で引ききらないでしょ・・・
┐(´-`)┌
しかも糸は常に布との摩擦にさらされているから、そんなに長く同じ糸で縫うのはよくないの。
玉になって糸が結ばるのは、糸の「撚り」のせい。摩擦はさらなる撚りを生む。だから、まず必要以上に長く通さないこと。MAX70cmぐらいです。
そしてゆっくーりゆっくーり糸を引くこと。「しょっちゅう糸が結ばるんです」と言う方に限ってものすごい勢いで針を抜いていて、しかも、縫っている手元から目を離す。
そんなに急いで何かいいことあるんでしたっけ?
結ばってとれなくて (*`∧´) キーッてなってたら早く縫ったって同じこと。ゆっくりじっくり、糸が引かれていく様を最後までじーっと凝視してね。まばたき禁止~(笑)

私の印象では、縫う速さと肩こりはシンクロしている気がします。ゆっくり縫うとね、それだけで肩こりも減るんじゃないかしら・・・。進みは遅くても、たぶん最終的には能率もあがっているはず。あと、肩こり防止には、縫っている時の姿勢も大切で・・・

つづく

 

 

2013-05-26 | Posted in 読みものComments Closed 

 

天使降臨 2013/05/21/Tue

わたしは、自分のお送りした布が、なんかしらの形になって、ずっと前からそこにあったかのように、誰かの暮らしの中に溶け込んで生き続けているのを見ると、とてもうれしく幸せな気持ちがして、それを励みに仕事を続けています。
とりわけ、産まれたばかりの赤ちゃんが、キルトに包まれて眠っている写真は、私にとっては、ポーンと高く飛べるロイター板みたいなもの。

かわいいな~
天使だね、ほんとうに。 (*゚ー゚*)

2013-05-21 | Posted in お店の仕事Comments Closed 

 

針のこと.2

「針はどうやって捨てたらいいですか?」って、時々聞かれることがあるけど、みんな、どうやって針を捨ててます?(・ ・)
『針を捨てる』って聞くと、つい「針供養」のことが頭に浮かぶけど、そうねぇ・・そういう日本の美しい風習があるということを、覚えておくだけでよし。現代社会ではあまり深刻に考えなくても大丈夫です。
ゴミとしての捨て方は、地域の決まりに従えばOK。
私の住んでいる練馬区では、刃物や針は「紙などに包んで」ってガイドブックに書いてあります。要するに収集して下さる方が怪我をしないよう危険物とわかるようにして出せばいいみたい。
私はいつも2つの段階を踏んで捨てています。
まず、道具箱の中に、「ダメ針入れ」って呼んでる入れものがあって、縫っている時少しでも気に入らない針があったらそこに入れていくの。
私は、こんな、小さいジャムの空き瓶を使ってます。

img_77851_4どんな入れものでも構わないんだけど、大事なことは縫っている時すぐそばに置いておけるってこと。これは一時置き場だから、入れもの自体は捨てないし、道具箱に入れておける小さいもの、できれば見た目も可愛いお気に入りの容れ物があるといいですよね。
常にベストな針を使うようにするには、ダメな針を選り分けるのが億劫にならないようにすることがポイントなの。それにはまずこの第一段階で気軽にピュッと捨てられる環境を作っておきたい。立ってどこかに捨てに行くんじゃ、つい針山に戻したくなっちゃうでしょ?そしたら永遠に新しい針には変えられない、コンディションの悪い針がエンドレスに針山にたまり続けるのよ。とにかく戻さなくて済むようにしないとね。

そして第二段階は実際に捨てるものに移しかえていく・・・例えばこんな、蓋のあるコンビニスイーツの入れ物。
img_77761私は、カッターの刃やホッチキスの針、曲がったクギや画鋲なんかは全部ここに集めて溜まったら蓋がとれないようにテープで貼って、不燃ゴミの日に出しています。
あら、よく見たら私のソーイングケースの中にはいろいろな入れ物があるのよね。針を入れておくのにミントの缶も使っていた。 (゚0゚)
img_78041なんだか食べ物ばっかりね・・・ (^-^;
でも、お菓子の入れ物って可愛いのが多いから、きっとみんなもひとつやふたつ取っておいてあるでしょ?
え? ないからこれから買いに行く? ( . .)
うん、それも有り!やっぱり何でも形から入らないと。

そうそう、それで思い出したけど、以前『型紙に使う紙はどんなのがいいのでしょう?』と質問されたので
「そうですね、厚紙、一番いいのはケーキ屋さんの白い箱ですね」とお答えしたらそれがものすごくツボに入ったらしく、
「これから○○を作るので、まずケーキ屋さんに行って、ケーキを買ってきます!」と、毎回
何か作る→型紙→ケーキ・・・の法則を実行している方も。
私も何かにつけて、ケーキは買います、そして箱を平らにしてとっておくの。

うーーん、楽しいわ~~~手作りって。これぞ、ワクワクのスパイラル!ケーキを食べるところも作業の一環。(笑)

あ、針の話からそれてしまった・・・
きっとみんな、人がどんな針を使っているか、お薦めの針ってあるの?って、そういうことが知りたいんですよね? 多分。

でも、私が使っているのは・・・

つづく

 

 

 

2013-05-08 | Posted in 読みものComments Closed 

 

針のこと.1

一日のうち、たった一針でもいいから、針を持って、何か縫おう・・・
そう思って暮らしているけれど なかなか思った通りにはいかない。

時間がないのではないよ、多分。時間は、自分が作ればいいのだし。
とにかく、間をあけるのが一番いけない。
せっかく手が何かに気づき始めていたのに、間をあけるとそれが元に戻ってしまう。常に、手を動かし続けていないと。
上手くなるのには、その、一本の道しかない。

さて、(・ ・)
今日から針や道具について少し書いてみようかな、と思います。
と言っても、私はさほど道具にこだわりは持っていません。でも、今までたくさんのお客さまや生徒さんと接して来ましたが、そんな私よりさらに輪をかけて無頓着な方が多いのには正直驚きます。
苦笑い、(^。^;) ←ほんとにこういう顔です、実際。
いえ、笑っている場合ではありません。
もうちょっと何とかしようよー、という方も結構いらっしゃいます。
「それ使いにくくないの?」と聞くと、
「使いにくいです!」 と、元気にお答えになる。
ですよね・・・・・

みんな、上手くいかないことがあるとそれは自分のテクニックが未熟だからと思い込んでいるみたいだけど、
実は、道具の選び方や使い方が間違っているってことがあるのですよ。
だから、本当はとても大切なこと、真剣に考えないといけないことなんです。

まず、さっそく「針」のことですが・・・
まさかとは思うけど、針は無くさない限り一生使えると思ってたりしませんよね?

もー、
針は、 消 ・ 耗 ・ 品 !

自分の針山をこの際よーく見つめてみて。
どお? (・ ・)
曲がった針が刺してあるんじゃない?
ミシンを使った時、踏んじゃって曲がったまち針を後生大事にピンクッションに刺してあったり?
古い針が錆びて、ピンクッションに赤茶色の点々がついているとか?
全く使わないのに、糸が通ったままの太くて長い針が刺してある?
苗字がマジックで書かれた息子の家庭科のまち針が?
母親から譲り受けた洋裁用の虫ピンが無数に?
んーーーーーー
よろしくないですね~~~~~。(笑)

この際、一掃した方がいいかも。
まず、曲がった針は捨てましょう!
そのまま針山に刺しておくと、曲がっているのに限って無意識に取ってしまい、「あ、そっか、これ曲がってるやつだ」と、いちいちほかのに変える、そのひと動作の繰り返しが時間の無駄でしょ?
言うまでもなく、曲がった針では正確な作業は出来ません。
それから一度も使ったことがないものは、針山に刺しておかないで!
錆びた針も捨てましょう。錆びてなくても、ほんのちょっとでも布がひっかかる感じがする針は全て捨てましょう。
針山には、縫い針、またはキルト針1本と、今縫うために必要な本数のまち針だけで十分。
もちろん、まち針は新しくて針通りのいいものだけを。本数も数えて、自分の決まりにしてしまうの。

img_77321

そもそも、
針山に針をずっと刺しっぱなしにしちゃいけないと思うの。
毎日のことだから、私も当然刺しっぱなしにしちゃっているけど、本当は片付ける時、針はケースにしまうのがいいのだと思う。
プラスチックの、針を収納するためのケースも売ってるみたいだし、紙を折って入れ物にしてもいいし。
日本は湿気が多い国だから、針にしてみたら過酷な環境。 針山も、本当は布を使っていないマグネットピンクッションみたいなのが一番いいのかも知れないけど、 あの機能性一辺倒なカワイくない感じが好きになれなくて、私は使っていません。
だから、作業が終わったら、写真のようにまち針をみんな針山にうずめておくの。針先だけだと、布との接点が腐食してしまうから。
刺しておいた針が1本でも錆びたなら、針山も変えた方がいいかも知れないけど、とりあえず常に使える状態のベストな針を、必要最低限だけ出しておく、 まず、ここから始めてみましょうよ。

さて、その、針の捨て方だけど・・・

つづく

 

 

2013-04-24 | Posted in 読みものComments Closed 

 

ライバルは白くま 2013/04/11/Thu

札幌の Yukikoさん、もう結構長いお付き合いのお客様。
以前は月に何回も電話をくれて、私の作ったキットや布のご注文をたくさんして下さっていたのに、ある時それがパッタリ止まった。

ん? 飽きた? それともお体の具合でも悪いのかな・・と、要らぬ想像をしていた時期があった。
そしたら、久々電話があって、その謎が解ける。
Yukikoさんは、毎日動物園に行っていたのだ。
そう、白くまを見に。
ほんとに、毎日行っているらしい。
真冬はもちろん氷点下の日だってあるわけ、北海道だからね、それでも、都合が許す限り行くらしい。
もう、これはちょっとした恋愛とか、追っかけみたいなものだね!
でも、
そういう人はYukikoさん以外にもたくさんいらっしゃるみたいで、東京や北海道以外の所からわざわざ来ている方もいるのだそう。
今はSNSもあるし、情報の伝達も早くて、交流もある。
おかげで増々熱中していくんだろう。

わたしは、部屋にピース(愛媛にいる人口飼育で育った白くまちゃん)のポストカードを飾っていたぐらいだから、Yukikoさんの撮った写真も見たいー!とお願いしておいたのが、やっと届いた。
時間がかかったのは、自分で満足いかない写真を人に送るのが嫌だったらしい。
さすがに思い入れの強さ、その気持ちはよーくわかる。

Yukikoさんが毎日会いに行っていたのは、円山動物園のララとアイラっていう親子。

かわいいな~ Yukikoさんが夢中になる気持ちがわかる。

毎日見守るような気持ちで会いに行っているのね。
この写真なんて、まさしく母親目線。
なんだか泣けてくる。

でも、アイラはもう大きくなって、帯広の動物園に行ってしまった。
(Yukikoさんはもちろん帯広にもガンガン行く!)

大人っぽくなったアイラ。
ララと離されても、元気に成長していたアイラを見て、Yukikoさんはきっと胸がいっぱいになったことだろう。

そして、Yukikoさん、今はララに生まれた双子の赤ちゃんに夢中らしい!
今日も、白くまコーナーの前でじっと見つめているのだろうな。
動物園の柵につかまって、目をキラキラ輝かせているなんて、かわいいね~
白い息がはずんでいるのが、見えるよう。
凍るほどの寒さもへっちゃらなほど、夢中になれるものが見つかったYukikoさんが、私は少し羨ましい・・
(*゚ー゚*)

札幌 円山動物園のホームページはこちら
http://www.city.sapporo.jp/zoo/

双子の赤ちゃんは、まさに動く縫いぐるみ。
ウキャー!となる可愛さです。

2013-04-11 | Posted in つれづれなるままにComments Closed 

 

桜は避ける 2013/03/29/Fri

近所にこんな景色があった。
自然豊かな場所に住んでいる人には、これくらいの花、珍しくもないだろうけど、家屋がびっしり並ぶ東京で、ふだん、どうとも思わないで通り過ぎていた場所が、ぶわっと黄色になっていたら、思わず写真なんか撮ってしまう。

この季節の桜の写真は、巷に素晴らしいのがいっぱいあるので、あえて桜は避ける。

なので、あれ?と 思った梅の花。
ご近所の。
一本から、白梅とピンクが、両方咲いてる
こういう品種があるのかな・・、突然変異なのかな・・。
(・ ・)

2013-03-29 | Posted in 季節の出来事Comments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.6(続・番外編)

私に、 メールやお手紙を下さった皆さんの中では
「先生に習っていないこと」を気にしている方が、本当に多かったのです。
それはもう、なんだか、隠れキリシタンのごとく、 自分がやっていることが、まるで世間では異端とされているもの、公には出来ないことをしているかのように、息をひそめている様子は、 悲しいほどだった・・・。

だから
わたしの、自己流について書いた一節なんかが
「勇気が出た」
「自分に自信がもてるようになった」と、 少なからず慰めになったのかも知れません。
でも確かに、その気持ちはわかる。
考えてみたら、誰にも習わなくたって、物を作っていいわけだけど、それでもやっぱり先生について学ばなければ
なんだかそれは正統派じゃないような、邪道なような気がしてしまう。
きっと、どんな分野でも、誰でも同じ、 多分、一人でやってる孤独感がそうさせてしまうんだよね。
私も、今でこそ開き直っているけれど、やっぱり以前はなかなか大きな声で、誰にも教わっていないことを自慢する気にはなれなかったもん。
でも、みんな、そんなこと、もう気にしなくていいんだよ。
だって、絵を描く画家に資格がいらないように、ものを作るのに、身分や肩書きなんて必要ないのだから。
先生ったって、ちょっと経験がいっぱいの、おばあちゃんの知恵袋的なものに過ぎないって、まぁ、言えなくもないし。
いろんなやり方の先生がいるし、答えは決してひとつじゃない。
意外にも自分でいろいろやってみたら、昔からの伝統より最先端技術の方が結果的に良かった、なんてこともあるかも知れないしね。
ま、そんなこと言ったって、 そりゃぁもう、経験豊富な先人の教えは、尊いものであるのは事実。
とりあえず、人に教わることの一番のメリットは、何と言ってもその手っ取り早さ。
自分一人でやっていたら、1年かかってやっと見つかったものが、先生に教われば一瞬なんだからね。
でも、そもそも、人に「物作りを教えるって、必要なことなのか?」 と
小規模ながらそういうことをしている自分自身にも、この機会に自問してみたのです。
これは私の個人的な意見だけど、
教えることは、少なからず「影響を与える」行為のはずだから
「直接的な教え」は、なるべく控えた方が良いのではないか、と思うのです。
私は、今自分がやっていることは、単なる「案内人」だと思っているの。
そうそう、
昔、まだ幼児だった頃のペンちゃん(娘)が、脚がいっぱいある、それはそれはファンタジックなものすごく可愛いテーブルの絵をいつも描いていたのだけど
ある日私が、遠近法で見た時のテーブルの描き方を教えたら、2度とあの可愛いテーブルは描かなくなってしまった。
ペンちゃん自身は、大人みたいなカッコいいテーブルが描けるようになって喜んでいたけど、私は後悔の念と、苦い思いを噛み締めた・・・。
つまり
教える側は、踏み込んではいけない領域を常に意識すべきで、何か大事なものを捻じ曲げるように教えてはならないと思う。
特に子供や独自性を強く持った人には余計な「指導」なんてしないことよ。そして
教わる側は、習得したものを一度自分の中で消化して自分のチカラで反芻する心構えが必要。
教わったものをそっくりそのまま踏襲するのは職人の世界にのみあるべきで、 趣味で自由に作る場合や、アーティストを目指す人は、先生の影響をそのまま自分のものと錯覚しないで、最初はまねでもいいからそこから少しずつ自分を発見していかなければなりません。
わたしが最も重要だと思って意識していることは、 何か作る時に、「自分にしか作れないものを作る」ってこと。
でも、不思議なことに自分は自分であるにも係らず、「自分らしさ」っていうものは、なかなか自分ではわからないものなのよね・・・。
「自分らしさ」っていうダイヤモンドを発見するまでには、実際結構な時間を要するもの。
そのダイヤが埋まっている鉱山がゴールだとすると、そこに辿り着くには2本の道があって
一つは、険しく長い道のりなんだけど、道中には珍しいものや美しいもの、新しい発見なんかがあって、時間はかかるんだけど、のんびりと一人で気楽な道。
もうひとつの道には、ちゃんと道案内人がいて、着実に短時間でゴールまで導いてくれるけど、案内人の背中しか見なくなって、美しい風景には目を留めなくなってしまうし、しかもその案内人が、別の違う山に連れて行っちゃう可能性もある。
実際に私が思うには、ふた通りのアプローチがあって
一つは、誰にも教わることはせず、影響を受けるのを嫌って人の作品もあまり見ないし、あくまで自分の「内側から自分を見い出す」方法。
もう一つは、誰かに教わったり他者の作品を見て研究したり模倣したりしてみて、そこから自分との違いや共通点を見つけて、「外側から自分を見つける」やり方。
前者は、得るものも深いけど、ひたすら時間が掛かるから、つらいね・・・。
後者は短時間で辿り着ける可能性が高い反面、教わったことを、一度自分の中で消化しなおして、自分流に形成しなおすっていう高度な技が必要。
結論は、
習うのも良し、習わないのもまた良し。
どちらでも、性格に合っている方を選べばいい。
だから、習っていないことを気に病む必要は全くなく、時間をかける覚悟があるなら、独学ほど実り多いものはないと、わたしは思う。
もしも教えを乞いたいと思う先人に出会えたのなら、それはものすごく幸運な人だな・・・。
ちなみに私は前者で、厳しく、歩みはのろのろなんだけど、道は無数にあって自由でしがらみや束縛もない。
そーねぇ、道というよりは、広々とした大空を飛んで回って、雲のすき間や木々の間から、キラッと光る自分を探しているような感じ。
見つけたら、すぐさま急降下して持って帰り、ブリリアントカットにして磨いて宝石箱に大事に仕舞っておくの。
いろいろな所に、それは埋まっているんだよね。
だからいつも目を凝らして、探している、「自分らしさ」をね。
ずい分抽象的でむずかしい言い方しちゃったけど、実際は、先生に習うのはそれはそれでとても意味のあることだし、一人でいろいろ自由に作ってみるのはさらに素晴らしいことだし、例えば 私が売っているような材料がセットされたキットみたいなものを好きでたくさん作り続けていたら、ある日光が射すように自分の好みや求めているものがはっきり見えてきたっていう話も聞くから、それもやり方のひとつかも知れないね。
導入部は、自分が心から楽しいと思える物を作ればいい。
そうやって場数を踏んでいくうちに見えてくるものこそが、実は核心を突いていて、どんな「先生の教え」より価値があるのだと、私は思います。

ところでみんな
「物を作る」なんて言ったって、それは展覧会みたいな所で見るすごく大きくて芸術作品みたいなのを作れる人の話でしょ? って思っていたんじゃない?
自分の作っているものは、ティッシュケースやコースターみたいな、小さくてどうでもいいものだから、そんなレベルじゃないって・・・・
いえいえ、そんな風に思ったあなた、 そこには大きさや密度の違いはあっても、レベルの高低なんてないの。
大きな会場で人に見てもらう為の作品作りは、もちろん壮大な創作活動だけど、日用品だけを作る人だって立派なクリエイター。
私から言わせれば、そこにこそ難しいことがいっぱいあって、出来の良し悪しが如実に表れるもの。
それに、すごい大作キルトを作れる人は、小さな日用品を作る難しさも知っている人が多い。
それを考えると、簡単そうに見えるものにこそ複雑さがあって、実はやってみると出来ないし、 一瞬どうでもいいと思える物にこそ、 『オリジナリティーの追及』が必要なんだってことの証し。
それこそが物を作ることの唯一無二の目的で、企業のデザイナーなんかは、みんなそこに時間もお金も費やし、
苦労していろいろなものを作っている。
真の自分らしさに辿り着く方法は、きっと一人一人違っているから、誰も(もちろん先生も)教えてなんてくれない。
結局は自分次第なんだよね・・・
デザインや色の勉強だけしてればいいと思ったら、そんなのまだまだ浅瀬でピチャピチャ水に触っている赤ちゃんみたいなものだってわかったのは、 ずいぶん歳をとってからだったな・・・。
くーー    おそい・・・
でも、今はね、 遅くてもいいと思ってるの、それで。

だって、それが私だもん。
こうして、ずっと長い文章を書いていたのも、読んでくれている誰かに向かって言っていたのじゃなくて
本当は、わたし自身に語りかけていたのね・・・。

さて、みんな、今日も何か作っている?
多分ね、そこにもダイヤが埋まっていると思うわョ。
見つかったら、きれいに磨いて、大切にしまっておいてね。
決して、人のと比べたりしないで。

 

お  わ  り

 

 

 

 

2012-12-28 | Posted in 読みものComments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.5(番外編)

大きいキルトを作るに際し.1~4を読んで下さった皆様からたくさんメールやお手紙などいろいろいただきまして、書いた本人、正直、ちょっと焦りました。
でも、ほんとに、ありがとうございました。

「共感しながら何度も繰り返し読んだ」
「思い当たることばかりで、パソコンに向かってうん、うんと頷いてしまった」
「自分の進む道が、明るく照らされたような気がした」
「迷いが消えて、自分に自信が持てるようになった」
など・・・・・・、いいことばっかり言っていただいて、ほほー?私の文章にそのようなチカラが?
と、すっかり誤解する私。
実際は、ひとりドキドキして、心臓に悪影響を及ぼしておりますが・・・
でも、
この機会を通して、みんなどんな気持ちで物作りしているか知ることが出来て、 思いがけず、貴重な経験になりました。
「始めたばかりなのですが」、「長年自己流で続けています」と、みんな、それぞれが、キルト作りが大好き!
つくづく、「好き」に勝るものはないな~、と あたたかく、幸せな気持ちでいっぱいになりました。
反面、
みんな誰にも話さずに、一人で考えたり悩んだりしていることもわかりました。
やっぱり、好きなこと、楽しいこととはいえ、物を作るっていうことは孤独な作業で、常に自分との対峙。
基本的に、みんな自分に厳しいのよね・・・それはもう、気の毒なほど。
どんなに誰かが褒めてくれても、自分自身を満足させるのが一番むずかしくて、自分が満足できるものなんて、そうそう作り上げることは出来ないもの。
もしそんな時が来たら、そのあとは、もう作るものなんてなくなるんだろうね、きっと。
私はまだそんな地点に到達したことは一度もないから、「あーあ」と思いながら、繰り返し繰り返し作る。
しかも私はみんなほど自分に厳しくないから、失敗する自分も結構好き。
その失敗もなかなか大胆で、 何百枚も裁断したあとに、この布とこの布は合わないって気づく、とか
表をぜーんぶ縫い終わったあとに、ボツにすることもよくあるわ、日常。
たいてい、一度ケチがついたものは再度使わないので、小さな直角三角形の布が大量に廃棄になったり
完成にいたらない試作が紙袋の中でしわしわになっていたり。
その処理には困るけど、私は物作りにおける失敗を、あまりクヨクヨ気にしない。
それは、『必要悪』だし、反対に、ダメだって気づけた自分にこそ注目に値する。
失敗したことに気がついた自分、 それは1段ステップアップした成長した自分。
もちろん、同じ失敗を何度も繰り返すけど、そのたびに何かしらの「気付き」がある。
みんな、自分は「違う違う」って思っているかも知れないけど、潜在的な完璧主義の人ってすごく多いの。
何か作ってみたいと、思ってはいるけど、でも 「失敗はしたくない」、「失敗する自分が許せない」のなら、あなたは立派な完璧主義者!
当然、誰だって、別に失敗なんかしないまま、成功に辿り着きたい。
でも
使い古された言葉だけど、「失敗は成功のもと」って、物作りにおいては、やっぱりこの言葉は正しいと思う。
大人になってから物作りを始めるとどうしても知識が先行してしまって、子供の頃ように思いのまま物を作れなくなってしまうのね、残念なことに。
どうしても他人からの評価が気になるし、ああしてはいけないこうしてはいけないという禁止事項に、頭も、感性も、支配されてしまう。
分別のある大人が、一度つけてしまった知識を捨てるのはまず無理で、感性を子供の頃に戻すっていうそんな神業が出来るのが、いわゆる『天才』っていう人。
私は残念ながら天才なんかじゃなく、一般的な凡人なので、仕方がないから常に物を作る環境に自分を置き続けることでカバーするしかなく・・・。
私は、小さい頃から絵を描くことや手で何か作るのが好きで、大学に行ってまで物作りを学んだわけだけど
結局、先生や教授が教えてくれたことは、技術やテクニックなんかじゃなくて
『物を作ることを通して、自分がどんな人間なのか表現しなさい』
っていうことだったのよね・・・。

作ったものには、自分が出る。
大袈裟な言い方だけど、自分の「生きざま」が出るのですよ。
だから自分を磨き続けなければいけないの。
ただ、その途中には、ダメな自分や、失敗する自分も居る。
でも、それが、生きている自分。
息をして、笑ったり、泣いたりしている自分。誰にも、同じ生き方は出来ない。
作るものもそう。 同じものは、誰にも作れない。
同じ材料で、同じデザインで作ったって、布の扱い方や、針目のひとつひとつはみんな違っている。
そこには作り手のセンスや美的感覚、ひいては人生観までもが表れている。
もしそれが自分の理想と違っていたら?
少しでもそこへ近づくように、分析したり、練習したりしていくの。
謙虚に、辛抱強くね。
次はきっと、ちょっぴり、近づいているはず、必ず。
だから、みんなも決して自分を否定しないで、まず自分自身を好きになることからスタートするといいと思うな。

 

今日もみんな手を動かしているかな?
丁寧に、ゆっくりね。
その一針も、自分だから・・・。

 

つづく  次はほんとのホントの最終回

 

 

2012-12-15 | Posted in 読みものComments Closed 

 

今日も色のきれいなもの 2012/12/09/Sun

新潟のお客様から、「プレゼント送るよ」と、段ボールいっぱいのお手製の野菜が届いた。
大きな蕪。
切ってみたら、こんなきれいな色。
わ~
明るいところでじっくり観察。
いったい、なにがどう作用して、こんな色ができるんだろう・・。
眉間にしわを寄せて、博士のように考えながら、スライスしたのを塩で揉んでから、お酢とオリーブオイルと黒こしょうでマリネして、ふむふむ、なるほどなるほど、と食べた。

残念なことに、食べても、色の不思議はわからない。
おいしいことが、わかったけど。

(・ _ ・)

2012-12-09 | Posted in おいしいものComments Closed 

 

久々、色のきれいなもの 2012/12/04/Tue

ペンちゃんの一人旅のお土産は、
おいしそうな食べ物いろいろだったんだけど、
その中に、こんな珍しい色の芽キャベツがあった。
紫キャベツと普通のを掛け合わせているのかな。
パープルからグリーンへのグラデーション。
きれい・・。

(゚ー゚)

2012-12-04 | Posted in おいしいものComments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.4(最終回)

やれ計画を立てろとか、シンプルなものにしろとか、いろいろ言ってきたけど、
本当に大切な所は、実はそこじゃない。
大きいキルトを作る目的は、三つあると私は思っていて
ひとつはもちろん、「キルト」っていう「物」を手に入れること。
自分で手作りした物は、ふたつとこの世に存在しないし、思い通りのものはなかなか売ってはいないのだから、自分で作ってそれを手にする喜びは大きい。
温かく柔らかく、色や柄で目を楽しませてくれる、それが手作りのキルト。
部屋に一枚あるだけで、毎日が明るく楽しく前向きになるのだから、これは相当素晴らしいものです。
断然、時間もお金も注ぎ込む価値が十二分にあるってこと。
もうひとつの目的は、
その大きいキルトに、作っていた時間、作っていた自分の記憶が残ること。
そのキルトを見るたびに、その時の自分や家族、季節や音楽がよみがえって来る。
来る日も来る日も眠い目をこすりながら、暑い日は汗を垂らしながら、忙しい日は、一生懸命用事を片付けて時間を捻出して作り続けてきた。
ある時は始めたことを後悔した日もあり、作りかけの状態が部屋の中で邪魔に思えた日もあり、やらねばというノルマのようなものが重荷だった時もあり・・・・・
でもがんばって必死に完成させた!そのキルトを見るたびに、その間の自分が走馬灯のようによみがえる。
もっと歳をとったら、きっと懐かしく思い出されるでしょう、若かった自分、小さかった子供、忙しくて大変だったのに何だか無性に楽しかった日々。
まるでアルバムのように、その一針一針に、思い出が刻み込まれていく。
自分が死んでからも、そのキルトはもしかしてどこかで生き続け
誰かのために存在し続けているかも知れない。
そう考えると、何だかちょっと神秘的な感じさえしてくる。
今、自分の作っているヘンテコなものだって、100年後には立派なアンティークキルトってことよ!
もしかして、私の作ったものが高値で取引きされていたりして・・・・・
無いとは言い切れないし、そんな想像だって、自分だけでしている分には、誰の迷惑にもならないもん。

三つ目は、「作る」っていう行為から、「誰かに何かをもたらす」こと。
誰かっていうのは、主に自分。
何かっていうのは、言葉に表すのは少し難しいんだけど
平たく言うと、「夢中になる瞬間」。
好きなことをやり始めたら、楽しくて楽しくて時間を忘れていたってことあるでしょ?
私も一度ならず経験があるし、いろいろ聞いた話の中には
朝始めてお昼を食べるのも忘れて、一度も時計を見なかった。
帰って来た子供に、「電気もつけないで何してんの!」と言われて、 初めて気が付いた。
ふと見ると外は真っ暗 なんていう・・・。
これは一種の『無我の境地』なのね。
一生懸命ヨガや座禅なんかで瞑想しても、なかなか辿り着くことが出来ない「無心」・・・はてしなく集中して無になるっていう瞬間。
こういう経験って、大人になるとそうそう出来ることじゃないし、時間を忘れるほど没頭できるなんてこと、何かほかに思いあたる?
キルト作りはね、うまくすると、あの境地に足を踏み入れることが出来るみたいなの。
もし今、悩み事や忘れてしまいたい事があったり、別の場所に行ってしまいたいと思っている人がいたら、キルトを作ってみるといいかも知れない。
思った以上の効果を発揮して、別人のようにスッキリした自分。
「無心」なんて、普通にしてたら絶対に到達できない精神状態なんだから、 そりゃもう、脳からも、体のあっちからもこっちからも、 良いものが大量に放出されているに違いない。
だからここで、私は敢えて言ってしまおう。

「大きいキルトは、出来上がらなくたっていい」

えーーーーーーーー!?

(そ、そうなの???)

だって、もし本当に1回でも、1日でも、そんな瞬間を味わえたのなら、目的の一つは達成されたんだもん。

でも
もちろん未完成を奨励しているわけじゃないのよ。出来れば、夢中になれたあとは、冷静に作業を進めてちゃんと完成に至って欲しい。それこそが本来の目的なのだから。

がんばって、楽しく作って辿り着いたその場所に、何が待っているかというと
当然無類の喜びと感動!  そして意外にも、 寂しさ。
完成の時。それはそのキルトとの別れの瞬間、 それはある日突然やってくる。
あんなにも、自分を悩ませ苦しめた日々がとうとう終わりを告げる時。
ふと、手がさみしいのに気づく。
なんだか、指先がすーすーして物足りない。
それはピーピー泣いてうるさくて、散らかしてばかりいた子供が、 独り立ちして出て行ってしまった日の、シンと静まりかえった部屋の中。

終わっちゃたんだ・・・・

恥ずかしながら、鼻の奥がツンとしてしまう

でも、大丈夫。
まだまだ作るものはいっぱいあるし、 また 始めればいいんだよ。
何度でも何度でも、自分の思うまま、 好きなものを、好きなように作ればいい。
きっとまた、楽しくてちょっぴりつらい、旅のはじまり。

みんな、旅の支度はできているかな?

じゃあ、そろそろ

いってらっしゃーーーーい♪

おわり

 

でも、番外編につづく

2012-11-29 | Posted in 読みものComments Closed 

 

こんな物がカッコよくなった件 2012/11/27/Tue

こんな物の、こんなところが、ちょっといい感じに。
自転車のタイヤの空気入れ。

プラスチックの取っ手が折れてしまったので、木で、しかもアンティーク仕上げのがついて、カッコよく生まれ変わっていた。
些細な物が、いきなりビンテージ扱い。
作れるって、こういうことが無性に楽しい。

2012-11-27 | Posted in 暮らしのあれこれComments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.3

大切なことなのに、つい忘れてしまいがちなもう一つの理由、それは

『重さ』。

布の重さについて、考えてみたことはある?
どんなものを作るか決める時、多分ほとんどの人が考えないと思う。
でも、いざ使ってみると、物の重さというのはすごく大事だってわかる。
普段私たちは物を無意識に使っているから忘れてしまうけど、あらゆる分野のメーカーさんが、どんなに製品の小型軽量化に苦心していることか、それを考えてみただけでも、『重さ』が人の生活において、どれだけ重要かがわかる。
繊維の分野だって、例外じゃないの。身に着けたり、体に掛けたり、持ち運んだり、人間に関係する繊維は、
強くて温かくて(または涼しくて)しなやかで美しくて、
なのに『軽い』ことを理想として、進化し続けてきたのです。
実際、重い物っていうのは、使うにしても、洗ったり干したり畳んだり掛けたり、移動したりするのも大変で使い勝手が悪く、そのうち押し入れの肥やしになってしまうもの。
多分みんな心当たりがあるはず。 重いコートやバッグ、お布団なんかが、敬遠されて仕舞い込まれているでしょう?
大きなキルトだって同じこと。 すでに大きいってだけで重さがあるのに、それが細かく切った布が大量に接ぎ合わされたものだとすると、さらに重さに拍車をかけることになるの。

原因は、見えない所に「縫い代」っていう、
“作る上では必要なんだけど、使う上では必要ないもの” が隠れているせい。
細かく刻んでつなげばつなぐほど、出来上がったものは重たくなっていく。
悲しいかな、せっかく作っても、重い物は無意識に使わなくなって、だんだんと邪魔者扱いされていく危険をはらんでいる。
出来上がるかどうかも危うい上に、苦労して仕上げたのに今一つ実生活で出番がないなんて、なんだか損なことばかりね。
展示会とかで人に見せるために作るのはまた別物だけどそういうのにまったく興味がない私は、使うのが目的。
使うんだったら絶対に大きいものは軽く作るべきだと思う。
それには何しろ、出来る限り引き算して、「凝りすぎない」こと。
えーっ!と思うくらい単純なシンプルデザインでOK。
手でチクチク縫うのだって思いのほか早く進んで、ちゃんと完成するし、きっと、気楽に使えて、いつしか無くてはならない愛用品になっていく。

ところで
たまたま私は手縫いにこだわって作っているけど
「そんなに大変ならミシン使えばいいのでは?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。
「ミシン使っちゃいけないんですか?」の問いに、ミシン嫌いの私の答えは、敢えて、『それも有り!』 です。
そもそも、手縫いがいいか、ミシンがいいかなんていう問題は存在しません。
そんなことを問題視することは、ナンセンスです。
それは絵の具で描いたものだけがアートで、コンピューターを使ったものは芸術ではない、なんていうのと同じで
時代にそぐわない、ただの「やっかみ」みたいなもの。
物を作る道具や手法などは、時代とともに変化し、進化し、時に原点に戻ったりしながら、向上していくものなのです。
どちらにも、長所と短所があるのだから、それを理解した上で自分に合っているものを選択すればいいだけの話。
すべては自由! 既成の事実にとらわれる必要なんてないんです。
物を作るっていう行為は、そんな懐の広ーいものなのに、みんな何かを気にし過ぎ。
私は時々
「自己流でしかやったことがないので、ちゃんとしたやり方を習ってみたい」
って言われることがあるけど
自己流だなんて、なんてまぁ素晴らしい! と思うし、
なんで「自己流」をネガティブに捉えるのかがわからない。
だれか先生に習ったことがないから? 本に載っているのとやり方が違うから?
もし、そんなことを気にかけている人がいるなら、私からこの言葉を差し上げましょう。
ノープロブレム!
私は私の教室で、たまたま私のやり易い方法を教えるけど、生徒さんが私と違うやり方でも一向に気にしないし
むしろそれを期待しているくらい。
物作りの答えはひとつじゃない。
自分のやりたい方法で、自分の信じるやり方で、作りたいものを作ればいい。
うまくできなかったら、違うやり方を試せばいいし、自分に合ったやり方を模索し続けるしかないの。
大多数の人がやっていることが『正解』だなんて思わない方がいい。
物作りは、そんなに単純じゃないし、常に研究と修練が必要で、ゴールは、『完璧なる自己流』を極めることだと思う。
キルト作りはまさにそれ。
「キルト・・・・2枚の布の間に綿がはさまっていて、上から刺し子してあるもの」っていう大前提がクリアされていれば
あとは、なんだって『有り』。
材料も道具も手法も、自分に合っているものだけを探し続け、そして研ぎ澄ましていくだけ。
それは楽しくもあり、厳しく、つらいことでもある。
でも、物をつくる喜びは
何だか山を登るような、必死に泳いで辿り着いた岸辺のような、心地よい疲れ。
それを味わいたくて、また作り始めるのかも知れないね。
ちょっと大きいキルトを作る話から脱線しちゃったけど、
実はね、本当は・・・・・・・・


つづく

次回は大どんでん返し !? の最終回!

2012-11-18 | Posted in 読みものComments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.2

もし、
本当に何日も、何週間も、何か月も、ずっと頭から離れず、大きいキルトのことがいつも思い浮かんでしまうのなら、
それは『作って良し!』のゴーサインかも知れない。
でも、そこはしつこく、あと少しだけ冷静に考えてみた方がいい。
今、自分は出来る環境に、または心境にあるのか、そしてそれは今後もしばらく持続可能なのか・・・

なぜなら、大きいキルトを仕上げる最大にして唯一の条件、それは
「気力」だから。
えー、スポ根マンガじゃあるまいしー、ここに来て「根性」?何かほかにあるんでしょお?簡単に仕上がる方法、
って言いたい気持ちもわかるけど、そんな魔法のようなものがあるのなら、私は自分だけドンドン完成させて、 しかもその事は誰にも話さず、秘かに特許を取って左うちわ・・・。
(-_-)
とどのつまり、必要なのは強い気持ちだけで、実はテクニックなんて、必要ない。
なまじそんなものあると、かえって自分の力量を見損じる。
とにもかくにも、最初に思った「作りたい!」という気持ちを、完成する瞬間まで持ち続けられるか、それが鍵なの。
それには、「気持ち」をサポートする「計画性」がものをいう。
現代人は悲しいかな、「飽きる」動物で、どんなに好きなことでも毎日続けば飽きる。飽きることを想定して計画を立てるべき。

そして、何よりも大事なのは、作りたいもの、作れるものを作ること。これは一見当然のことのようで、みんな自分ではわかっている気になっているけど、本当にそうなのか、実際は違っていることも多い。
まず、「必要なもの」イコール「作りたいもの」ではない。
そして「作りたいもの」イコール「作れるもの」ではないことを認識した方がいい。
よくあるケースは、夫または息子のベッドカバー。必要だと自分で勝手に思い込んで作りはじめるが、何分男性のものは色が地味で可愛い花柄も登場しない。そのうち気持ちが冷めて、すっかり手を付けなくなる。
または、
キルト展で見たものすごく小さな四角をた~くさん縫いつないだキルト。小さくたって、単に四角をつなぐだけなんだから自分にだって出来るはずと思いきや、これが思った以上に進まない。 結局ベッドカバーじゃなくてパソコンカバー2枚になりました、みたいな。
イベントのワゴンセールで、みんなが買ってるからつい興奮して大量に買ってしまった布。いつまでもあるから使ってしまいたい、じゃあこれを使って大きいキルトでも作って消化してしまおうってやり始めたものの、実はそんなに好きな布じゃなかった。単に買った自分を肯定したかっただけ。
手持ちの布の在庫を減らそうと、なんでもかんでも切ってつなげてみたら、すっかり自分では見飽きた布ばかり、コーディネートも何もあったものじゃない。
色も雰囲気も統一感ゼロ、これ作ってもベッドに掛けて使う?
要らないものを使って何か作ったら、都合よく化学反応でも起こして素晴らしいものができるなんてことは、現実には起こり得ない。
要らないもので作ったものは、やっぱり要らないものだ。
ハッとそれに気づいた瞬間、ヤル気が失せて、お蔵入り。
どれもよくあるパターンで、私自身も経験者。できれば誰もこんな事態には陥りたくない。

それにはまず、見極める冷静さをもつこと。本当に心の底から作ってみたい物なのか、それは自分向きの物なのか
作る時間は確保できるのか。
ノルマみたいに1日何枚とか何時間とか、自分に厳しく課すこともないけど、私みたいに無期限にして「老後の楽しみにとっておく」なんて公然と言うようになったら たちが悪い。
せめて、1年、難しいものは2年で1枚、その間に完成に至るのがベスト。
それ以上かかると、そのまま放ってしまう可能性大だ。
作り始めた日を記録しておいて、だいたいこの辺りではこの作業に入っていることとか、子供の受験とか引っ越しとか、事前にわかる予定は考慮に入れて簡単な予定表を作っておくのもいいと思う。
真夏はペースが大幅にダウンするので、それも想定しておいた方がいい。
出来れば、この日にまでに完成させる!という完成予定日を決めるとモチベーションも上がるかも。 カレンダーにシールを貼ったりしてね。

そしてなにより、シンプルなデザインとヤル気を喚起してくれるお気に入りの布を使うこと。
デザインは、単純であればあるほど良い、と最近私は殊更にそう思う。

0051

これ、↑北海道の Reikoさんにも 大きな正方形をつなぐだけのシンプルなものをお勧めしたけど、どの布も生き生きと主張し、引き立てあっている。大きな四角だからといって大味な感じはしないし、トリプルのキルティングで、決して手抜きには見えない。
お仕事をしながら、ほかにもいろいろと作品を同時進行で作りつつも、ベッドカバーをちゃんと完成させられたのは、やっぱり、「娘に」という強いヤル気と、サクサク進んだシンプルデザインのお蔭だったと思う。

私が、大きな四角つなぎという究極のシンプルデザインを勧めるのは、簡単で進みが早く、完成する確率が高いという理由以外にも大切なことなのに、つい忘れがちな理由がもうひとつあるのです。

それは何かというと・・・・・・・

次回へつづく

2012-11-12 | Posted in 読みものComments Closed 

 

秋のほっこりおやつ 2012/11/10/Sat

お芋のおやつでひと休み。
売ってる大学芋は皮がないのが多いけど、皮のとこが好きだから、手作り。

甜菜糖とはちみつで、やさしい甘さ・・・(*゚ー゚*)

2012-11-10 | Posted in おいしいものComments Closed 

 

大きいキルトを作るに際し.1

ベッドカバー・・・・・・
キルト作りを始めたら、やっぱり1枚は作ってみたいもの。
出来上がった時の達成感は、そりゃもう、小物の比ではない。
正直、完成した瞬間は、 紙ふぶき、万歳三唱! 心の中ではエレクトリカルパレードです。

完成したものはまるで子供のごとき可愛さ、それを作り上げた自分自身も、無性に愛おしくなって、「わたし、すごいかも」と、あらぬ勘違い。
これは、やってみればわかる。もう次も絶対大きいの。出来上がってもいないのに、もう次の計画が進行中。
とにかく一度出来上がると、癖になって、やめられなくなる。
ベッドカバーなんて、そんなにたくさんあっても仕方がないのだけど、でもなんでだか作りたくなってしまう。
そんな楽しくて魔力いっぱいの大きなキルト作り。
じゃあ、そんなに良いものなら、いつでも誰にでもお奨めするのかというと、実は、そうでもない。
私も大物が好き。出来れば大きいものだけ作っていたい。
でも、手縫いにこだわって物を作る私が日々実感しているのは、手で作るって、思いのほか時間がかかって、大人が普通に生活していると、意外と縫う時間なんてそんなにとれない、っていうこと。
実際、私自身も、未完成のベッドカバーは複数枚。途中で止まったまま、もう何年も熟成させちゃってる。
やめたわけではないし、いつか続きをやるつもりではいるけど、再開の見込みは立っていないし、立ち戻れるかどうかは微妙。
当然だけど、大きいものは小さいものに比べて時間も材料費もかかるのです。出来上がらなかった時のダメージは、これも小物の比ではない。
だからこそ、大きいものほど綿密な計画と、心構えが必要だと、 私自身改めて思う。
やみくもに、その時の気分や思いつき、何かに感化された盛り上がりとか、いわゆる「ノリ」で始めないほうが良いと思う。
まず、まったく今まで針仕事をしたことがなかった人の第一作目には、私だったら勧めない。
何か適度な大きさ(1m角未満かな・・・)のもので、プロセスを知ってからのほうが安全。
しかしながら、全く初めてではないにしても、性格的に大物に向かない人もいるし、とにかく、家に居て、じっと座っている時間がコンスタントにとれない人は圧倒的に不利。
結局出来上がらなかった途中のものって、実際何の役にも立たないし、「あれが途中」という意識が、ジクジクと亡霊のように自分を苦しめ、何か新しいものを作り始めるたびに、「あたしを先に作って~」と、地面から手が伸びてくるよう・・・
そんな、さむ~いネガティブ思考に苦しめられるかも知れないとわかってからも尚、それでもやっぱり作りたい!と思った時は、じゃあ、どうすればいいかというと・・・

次回へつづく

2012-11-08 | Posted in 読みものComments Closed 

 

完成おめでとう!! 2012/11/06/Tue

北海道のお客様、Reikoさんのお嬢さんための「お嫁入りキルト」が完成。
お知らせのハガキが届いた。

途中も見せていただいていたけど、やっぱり出来上がったものは最高!!
お嬢さんにはお店で一度お会いしただけなのに、私はなんだか親戚のおばちゃんのようにウエディングが嬉しく、幸せになってねーと、ハグしたいような気持ち。

そして、
ほっとしたような、手の平を見つめて、ため息が出てしまいそうな、そんなReikoさんの、微妙な気持ちが伝染してくるよう。

でも、Reikoさん、完成おめでとう!!
私もうれしい!  とっても素敵!


さて、このReikoさんのベッドカバーの写真を見て、「私も作りたい!」と、触発される方は多いはず。
でも、初心者が大きなキルトを作る際には、心構えや、いくつか考えておくべき点があると思う。

次回から、そこを少し書こうかなと思います。

つづく

2012-11-06 | Posted in お店の仕事Comments Closed 

 

真夜中の雨 2012/09/22/Sat

「きのうの夜中に雨が降ってたでしょ?」

と、
歯をみがきながらくつろいでいる私に、夫が話しかけて来た。
「うん」 と 聞いていると、
寝ていてふと目を覚ましたら、
枕元にしぼった雑巾が置いてあるんで、
窓を開けっぱなしにしてたから、雨がふき込んで、それを拭いたんだな、と思ったんだって。

でも枕の上に置きっぱなしにしておくなんてと、どかそうとしたら、
それは私のこぶしだった・・・ そうです。

(-  _ -)

ぞうきんて・・

2012-09-22 | Posted in 読みものComments Closed 

 

1 9 10 11 12 13 14 15 16